■ルザ高の着地点を考えていました。引きちぎられるような別離がルザ高ですが、二次創作として。自分はルザ高が時間の経過でキンちゃん生誕、高松の子育て奮闘記、キンタロー様ご入学等になっていけばいいと思っています。ルザ高自体は変わらないだろうし、ルーザー様が兄弟思いなのを変える事も出来ません。
ふと、ルーザー様がお兄さんでなくて、お姉さまだったらと思いました。イメージはトップをねらえ!、トップをねらえ2!お姉さま達です。主人公を厳しく指導する事もあるし、成長した主人公を一番認めてくれる人達。女性同士だから親和的に振る舞うのが特徴かもしれない関係です。男同士だったら、やはり最後はどちらか倒れるまで勝負して欲しいかなと思います。
高松のルーザー様への姿勢は弟分、弟子というより、お姉さまと妹分の様です。そんな風だったらいいなと言うだけで、もっと過酷で汚い仕事のベテランなのがルザ高だと思いますが。ルーザー様は可愛いサビにさせられないようなきつい仕事をやらせるために、高松を側においていたのだろうなと思います。
きつい仕事・・・。「夜泣きするキンちゃんに一晩中付き合う」「食べやすい御飯の支度」「キンちゃんのしつけ全般」「嫌がる注射や薬の内服」「底なしの体力のキンちゃんと一日遊ぶ」。サビには向かないと思います。
■価値観について考えていました。自分は人に合わせる事が壊滅的に苦手な人間です。他人様をどうこう言える人間ではありません。なので、漫画やアニメで「価値観がぶつかり合うも、協力出来る様になって行く」場面を見ると嬉しくなります。パッと思いつくのはアスカです。
・エヴァのミサトは他人の価値観を尊重しない人だと思う。ゲンドウや冬月の考えている事は、ミサトには分からないから無価値だし、仕事と猫を愛するリツコは寂しく愚かな女性で、内向的なシンジは臆病ものと断言してはばからない。
・ついでに言うとミサトは父親の事は殉死してもいいくらい好きで、母親の事は自分が失語症その他で瀕死でも、会いたくないくらい嫌い。でもミサトはそれでいいと思う。シンジと分かり合おうとかすると、エヴァがそれだけで何十話もかかるし、ミサトの高飛車がエヴァの推進力とも言える。ミサトの価値観は周囲に尊重されれているのかは分からない。
・ミサトは一つの作品のキャラだからそれでいいと思う。ミサトが司令官であるゲンドウや冬月、又は母親であるユイであったら、周囲の人の価値観に寄り添う姿勢を見せないと困るだろうなと思うけど、大抵の相手の価値観を弾き飛ばすのは独身で一軍人であるミサトの立場だからできるのかと思う。軍人なら上官命令を聞き、同僚と温和に過ごさねばならないのではという突っ込みはしない。
・もし、価値観が一種類しかない人が漫画を描いたらどうなるのだろうと思う。確固たる価値観、現状の認知、強い意志を持って漫画を描くのは素晴らしい事だと思うけど、固い気持ちと現実の周囲の折り合いをつける努力をしないと、独善的になるんじゃないかと思う。
子供はこう、男性はこう、と決めつけてページを埋めるのは危険じゃないかと思う。周囲にいる人をモデルにしたとしても、どこまでモデルになった人を理解出来ているのか。ならば女性漫画家だから即女性キャラが描けるのかというと、やはり訓練が必要だと思う。仕事の有無、彼氏の有無、夫の有無、ましてや子供がいるかどうかで女性と一口に言っても全然考え方が違うだろうし。
よく漫画で、病気や怪我をしているのに医者の言葉を聞かない事を賛美する描写を見かけるが、あれは何なのだろう。PAPUWAでコタに社会訓練をさせようと言ったキンちゃんに猛反対したリキッドは、流石ファンタジーの世界の人だと思う。だからコタを探しに行くのは、シンタローとキンちゃんでなくて、マジック・シンタロー・グンマにすればよかったと思う。キンちゃんは高松と留守番でいいと思う。
・・・医者の診察に抗うのは個人の自由だとして。(※成人が自分で決める意味合いの自由であるから、本人でも家族でもない、通りすがりのリキッドが幼年のコタの今後について口出ししてはNGだと思う。)
ならば、「女性は彼氏か夫がいないとダメ」「女性は若くて綺麗でないとダメ」という、古風な価値観にのっとり、あれこれ自主アピールするのも自由なんだろう。自由だとしても、そのアピールを賛美するかしないかも、周囲の自由だという事になるのかも。
ジャンプでヘタリアを楽しみたかっただけだったんだ。カミヨミ以降、子供が出て来る漫画は止めたのだと勝手に思っていた。天馬・菊理嬢は兎も角、帝月は何だったのだ。 |
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