■ルザ高のいくつかあるだろう着地点の一つがキンちゃんであるのなら。高松はキンちゃんが有用な男になる様、育てると思います。なけなしの道徳観とか、忘れていた周囲の人を大切にする気持ちとか、一生懸命思い出して高松はキンちゃんと向き合うと思います。(※ルーザー様が生きていて、嬰児交換もなしで)
が、古めの英国の小説など読むと、上流の家庭ではもともと両親が幼児の世話をするという発想自体なさそうです。上流の家庭だと育児より社交や仕事、夫婦間の事の方が優先されたのかもしれません。洗濯一つでも重労働だったでしょうし。今の王室はファミリー志向みたいです。
なので高松がキンちゃんに尽くすのも、日本人の感覚なら母子愛に等しいですが、お国によっては一つの職業とも呼べます。日本の源氏の頃だと乳母がよく出て来て、子供と母親以上に助け合う場面がありますが、江戸時代の大奥のシステムが、昔からの乳母や乳兄弟の習慣を駆逐したようです。
母子愛なのか職業的使命感なのか分かりませんが、高松とキンちゃんが仲良くお勉強したり、日々の生活を送っていたとして。キンちゃんの入学や、試験なんて時も来るのでしょう。ルーザー様がキンちゃんの成果を喜んでくれるならいいのですが、サビも「流石私の甥だ」と、都合のいい時だけ言うんだろうなと思います。キンちゃんがドジったり、世間知らずを披露すれば、高松のせいにしそうです。
そういう時、ルーザー様はどうするんだろうなあと。高松は自分とキンちゃんの努力を、ルーザー様が認めれくれなくともお互いで認め合って満足出来ると思いますが、全く別の誰かが、自分達の出した成果に乗っかってくるとしたら。ルーザー様はサビに何か言ってくれるのでしょうか。言わない気がします。
■先日からの価値観の話です。自分の価値観も大概なので読み飛ばして下さい。
・今時、ニッコリ微笑んだだけで周囲の異性がくらっとする様な、ヒロインの描写があるだろうか。無くはないと思うが何かプラスというか、どういう時に笑顔になったのか、どんな意味合いで笑ってくれたのかと、あれこれ感じ取らせる描写だと思う。物語性があるんだろうなと思う。
・更に。昨今、女性は男性に襲われたい願望があると信じている人があるのだろうか。「漫画で分かる心療内科」を読んだが、あの内容が全て本当ではなかったとしても、性行為すなわち快楽ではなく、段取りとか雰囲気とかあるんじゃないかと思う。好きな人あっての事と言うか、性的にかまってくれれば誰でもいいんだな・・・と思わせてしまってはならないのでは。
・かぐや姫の様な美女が姿を現し、異性を知る話なら源氏を挙げていいと思う。その源氏でも、ヒロインごとの描写には念が入っている。よく描き込まれているヒロインに玉鬘がいるが、彼女もただの美女ではなく、都の不真面目な貴族達を嫌悪する常識があり、源氏のセクハラに耐えるタフさがある。
(ヒロインの描写は浮舟がダントツにすごいと思う。浮舟が異性にもてるのは、何でも言う事聞きそうな弱い立場故だと思うと、納得できる。そもそも宇治十帖は大君が死に、中君が匂宮に引き取られ、残った浮舟が貴族達のオモチャになる話だから。)
・笑顔だけどころか、そこにいるだけで異性も同性もくらくらになり、賞賛とナンパを始めるとか、そんな女性はないのだと、源氏の頃から言われていると思う。源氏の頃は後年の時代より女性の権利が強かったと言われるが、1,000年前からタフで魅力的な女性の描写がされていたのはすごい。
・玉鬘や紫の上ですら、容貌にプラス何かがある女性だとして。万が一、女性である事に絶対の自信を持ち、古典的な女性観?に浸り、とんでもない美女がもったいなくもアンタのために「お仕事」をしてますというアピールは時代錯誤というより、昔からあり得ないのだと思う。
・美女が若く美しくあるのは当然として、賢さも必要なのだと、フランス史を読むと思う。王に体だけ愛された女性は多かったろうけど、頭一つ抜きん出ている女性は第一に賢明。誰かがどんな価値観を持っていてもいいと思うけど、どうせ持つなら胸を張れるものがいいなと思う。そして人の価値観も認められる人でありたいと思う。
・女の子の恋を描く少女漫画、男の子達の憧れになるべき冒険がつまった少年漫画。いずれも名作が多い。そういう作品は多様な価値観と、価値観を認め合う柔軟性、作者の冷静な客観があったと思う。昔自分が好きだった作家さんと、南国&PAPUWAの原作者の魅力は、エゴまがいの疾走感・躍動感だったと思う。頑張ると息切れする年にもしもうなっているのなら、一度考え直してほしい。 |
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