■寒いので酒風呂で温まり、早く寝ようと思います。明日も寒そうです。毎年冬コミの搬入時期は降雪があるので、今年は早めに送りました。決まった日時に出せれば安心だと思いますが、自宅から営業所まで持って行くのに、みぞれや吹雪では箱に雪がついて本が濡れそうです。
■マジックがライオンパパを反面教師の如く言うのに対し、ルーザー様は兄弟というものを理想郷の様に感じていたのかなと思います。マジックの父親像も嘘っぽいですが、ルーザー様の家族観も主観的なのかなと。
香川から単身野望を引っ提げて暗殺者集団にやってきたかもしれない高松を、お前は家族思いでないと責めたり、マジックがやった覚えのない家族孝行なシーンを、いつの間にかあたかも事実の如く信じてしまったりとか、彼はしてそうです。
ルーザー様の光さす庭(※ウテナ)は、彼が命を差し出す程重いものだったと思えば、高松も少なくとも彼の前では従わざるを得ません。高松は、キンちゃんにはそこまで思い詰めて欲しくないでしょう。
以下は独断と偏見です。
・漫画やアニメで、正月やクリスマスを取り上げてくれると、例えばバトルアニメやスポーツアニメでも、生活感が出て身近に感じられるから好きだ。スラムダンクはほぼ夏の描写で、アニメで地元の夏祭りに参加する桜木達の回があったが、作品世界から浮いていたかもしれないけど、いいもの見せてもらったと思う。クリスマスやバレンタインで盛り上がれる、少女・乙女向け作品も大好きだ。
一方で無理に季節感を求めなくても、面白い作品は沢山あるし、軍人とか暗殺者がキャラクターである場合、かえって世間と距離がある描写になるかもしれないから、作品世界に合わせて、海水浴や紅葉を楽しむ絵を入れればいいのではと思う。全ての作品がサザエさん的に四季を楽しむ必要はないと思う。
昔ジャイアントロボで二次創作をしていたが、そういえば十傑集が温泉旅行とか割と平気で書いていた。思えばあり得ない気がする。二次創作だからいいよねとも言えるし、同人人生上、一回くらいキャラ性に忠実な本を書こうと思って果たせずにいる。
自分の書く(描く)ルーザー様は高松の事を忘れないし、キンちゃんは生まれた時から高松大好き。もし根拠は?と聞かれたら延々劇中での例証を語ってしまいそうだけど、それすら濁った眼の映すものかもしれない。
・南国は舞台が常夏という印象なので、常夏の島に来た日本人の青年として、シンタローが折々のイベントを楽しむのはよかったと思う。シンタローはコタローを助ける目的で父の下から家出したと思うので、島での時間は暗中模索している中の息抜き的時間だと思っている。
シンタローの母は日本人女性。亡き母を愛したマジック、そして弟のコタローとの思い出は日本的な原風景の中にあり、シンタローは家族が手を取り合う日を、島の日々で模索していた・・・というのは、読み手の妄想なんだそうだ。
シンタローの出自はハッキリ言って原作者の手でめちゃくちゃになったし、マジックは独身。マジックのコタに冷たい理由が、コタの誕生で愛する妻が他界した事からというなら、まだ理解出来るし、母が夫と息子達を愛していた事を思い出し、一家の現状の打開も出来たと思う。
じゃあなんで端午の節句だの、花火だの南国にあるんだと言うとよく分からない。マジックがジャポニズム趣味の男だったとしか言いようがない。又は、南国もPAPUWAも、所詮原作者の妄想絵日記的なもんだったという事も言えそうだ。
南国の連載期間がおよそ二年の時点で、南国の物語の開始時点・シンタローの家出が二年前の事になっている。父に虐待されている弟のために家出したのに、二年もシンタローは何をしていたんだと言いたくなる。22〜24歳と言う時期が南国におけるシンタローの年齢になると思うが、もっと彼にしっかりしてくれと言いたくなる。
でもシンタローが悪いんじゃないんだ。原作者が自分が2年連載していれば劇中でも2年経ったと明記するのが異常だと思う。南国〜PAPUWA間でも4年経過したが、この4年という月日に何ら意味はない。コタが4年も寝たきりだった異常さに、原作者が無関心なだけ。
PAPUWAでは2回クリスマス描写がある。一度目は高松の帰って来た時、二度目は話の終盤の頃。随分劇中で時間が経っているが、これまた意味はない。原作者が自分の経年と、劇中の時間軸をごちゃ混ぜにしているだけ。折角のクリスマスイベントなのだから盛り上がりたい所だが、残念ながら劇中で込められた意味は全くない。くり子ちゃんとウマ子嬢の話は好きだ。 |
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