■高松本を出して丸二年になります。冬コミが8冊目でして、次の春コミの9冊目が三年目のスタートになります。初めて高松本を出したのは春コミでした。
高松の悪辣な日常本という事でも項は埋まりますが、少女漫画で育った人間なので、季節のカップル向けのイベントが、自分では滅多に参加しないのに好きです。リアルで鼻を突っ込むと大抵怪我をして帰ってくるイベントばかりなのに、幼少期に読んだ漫画の影響とは恐ろしいものです。リアルタイムで読んだ、天使なんかじゃないの学校行事の描写、クリスマス、お正月のイベント描写は伝説だと思っています。
■基本少年向けファンタジー漫画なのに、日本の年中行事に南国&PAPUWAは甘いです。マジックが亡妻との思い出を胸に、愛した妻に生き写しのシンタローを可愛がりまくる作品だから・・・だったらどんなにいいかと思います。
ルザ高的に、カップル向けイベントは難しいかなと思います。そういう事に気持ちを向ける余裕が内外になかったのも理由ですし、あのルーザー様に甘えた事、高松が言うはずない気がします。高松がどうしたいかではなく、ルーザー様が何を望むのかが、ルザ高の要だと思うので全てはルーザー様次第です。
■クリスマス=兄さんの誕生月、バレンタイン=双子の誕生日。高松のはかない希望を粉々にする布陣だなといつも思います。高松がすねたりぐれたりするのは不可避でしょう。
(屋外デートは自然観察になり、イルミネーションデートは団内施設の電圧についての討議になりそう。高松も理系男子なので受け入れる話題ばかりだと思うけど、数時間後にすねてそう。他人と季節を味わった事のないルーザー様故の照れ隠しとも思えないし、高松はそういう話を喜ぶと思ったのか、単なる独り言なのか分からない。素と言えば素だけど。)
キンちゃんが物心ついたら、高松はキンちゃんにあれこれ楽しませてもらえるだろうと思います。一緒にチョコレートを買ったり、家でチョコのお菓子を作るとかしてくれそうです。反抗期もあるでしょうが、楽しい時間をくれると思います。劇中でも、高松の事を忘れる様なキンタロー様ではないと思っています。
・・・ルーザー様は甲斐性なしでも冷たい男でもないと思いますが、いかんせん気持ちに余裕のないブラコンなので、高松は彼に合わせるので精一杯でしょう。
■エッセイを初めて意識して読んだのは、さくらももこの、もものかんづめだった気がします。年がばれますが、自分がまさしくまる子の年齢だった時にアニメが開始になり、数年後にさくらももこのエッセイがベストセラーになった気がします。今も町の図書館に数種類あるので、読者は多そうです。
ちびまる子ちゃんは、まる子の自虐話が多かった頃はよく読んでいました。同世代に近い女の子の、色恋に依らないお話が好きでした。友情、家族関係、お出かけの話など好きでした。
いつからか、エッセイもちびまる子も原作者の自慢話になった気がします。(どの巻だったかに、まる子が姉に勉強を教わる回がある。まる子の怠惰さにイライラする母や姉が読んでて可哀そうで、何故、この怠惰で傲慢で無気力な子供が主役なのか理解出来なくなった。その頃は怠惰で夢見がちなまる子が失敗するオチがまだあったが、今はどうなんだろう。)
静岡という地元愛は当初から濃いめでしたが、昔は自身の自慢話はなかった気がします。もものかんづめも各話のテーマは兎も角、周囲に虐げられる自分像で貫かれていたと思います。なので、何かに文句を言う様な口ぶりのエッセイでも攻撃性を気にせず読めました。
■自分の事を語るなら、若干自虐的な方がいいのかもしれないと思います。その意味で南国のシンタローの抑鬱感や無力感は、共感できる所もあったと思います。ただし主役のはずのシンタローが甘えた事言っていると、物語が進まないのでお話の進行としてはアウトかなと思います。
PAPUWAの初期のコタは、原作者の価値観に言動が似ているのではないかと思わせるので、島から出て行った後の彼の方が彼らしいのではと思います。原作者の前向きな自虐性?が発揮されていれば、物語も豊かになると思いますが、現状に満足した怠惰な思いが作品に滲み出ては読みにくいです。
例えばハレとか、最愛の弟を傷つけたルーザー様、ジャンへの怒りに駆られている時は好きなんですが、PAPUWAでは偉そうな酒乱で、特戦が嫌で逃げ出したリキッドにしつこいのが残念です。
ハレはマジックやサビといると普通に見えて、ルーザー様と過ごした頃はむしろ被害者に見える不思議なキャラです。高松と一緒にいても、ハレの方がまともに見えます。三億じゃ戦闘機の維持費に足らな過ぎるので、ふけていた時の生活費は彼の自腹かなと思います。 |
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