■何故、自分の漫画内で登場するキャラをいじめたり、虐待したり、挙句死にまで至らしめるのか考えていました。アラシヤマ、イトウ嬢&タンノ嬢、ウマ子ちゃん・・と人気キャラだったり、物語を進めてくれるようなキーのキャラ程扱いが恣意的に残酷に思えます。
全体的にそういう作品だというなら分かりますが、南国&PAPUWAの原作者の場合、ニートで男達からチヤホヤされているキャラは傷つかずにいるので、意図的なんだろうなと思います。(※未完ながらチャン5が原作者の実力の最大出力だったんだろうなと思う。原作者の作風とか傾向を考える時、要素はチャン5に全て詰まっていると思う。)
ルーザー様はとりつかれたように殉職、高松は犯罪に手を染め、キンちゃんは指ひとつ動かせないで24年間って。物語の進行に必要だったというならありかもしれませんが、単なるしわ寄せだと思っています。同じ事ばかり考えていては行き詰るので、漱石で考えてみます。
順不同です。漱石のアバターらしいキャラが痛めつけられる場合と、アバターの身近なキャラが苦しむ場合と、両方あります。
■猫→あまりに有名な猫の飲酒と溺死
■初の新聞連載である、虞美人草 →読者に大人気だったらしい藤尾を、恋の勝利者にしたくないので、憤死させた。
■こころ →好きだったけど振り向いてくれなかった男のために、妻を若い男の子に与えてから、後追い自殺する先生。
■それから →自分勝手な感情で友人夫婦に近寄り、妻と通じてしまい、彼女はストレスで重篤に。
■行人→神経質な一郎の深まる孤独と流浪と発狂
■明暗→甲斐性なしで冷たい夫の子供を流産し、今までの人生が無かった事になるくらい辛い思いをする延子。未完ですがそういう展開だったのではないかという考察があります。
漱石は多病で神経質だったせいか、明暗の時などはずっと病床の場面が続きます。子規の様なタフさ、質実剛健な明るさは余り感じません。ひたすら暗い所も好きですが、藤尾については何故殺したのだと当時から言われたそうです。
藤尾は嫌な女だから死んでしまえばいいと、漱石は言ったそうです。小夜子の可愛らしさ、糸子の健気さを描写しようとして、藤尾の華麗さが勝ってしまい、結果漱石は主義として藤尾を殺してでも、作品世界から除外したかったらしいです。キャラの死が、そのキャラの主張やなした事まで息絶える事を意味しないと思うので、生みの親の漱石には殺されたけど、藤尾の絢爛さは今も健在です。
漱石の場合、劇中で悩み苦しむ男達こそメインであり、漱石のアバターでありますが、一方で三千代やお兼さん、お重、千代子と、藤尾の後継者の様な女性達も多彩です。漱石は藤尾を殺す事で、藤尾のまとっていた虚栄やエゴを焼却しようとしたと思いますが、漱石が嫌う藤尾の短所は、漱石の内面に由来するので簡単にはなくなりません。
■話がそれましたが、南国&PAPUWAの原作者が女性を嫌い、普通に働く世の中の多くの人を見下し、アラシヤマの様な骨折り人生を送る人を軽蔑したとしても、彼女が嫌おうが憎もうが、彼等はいなくなりはしないでしょう。
高松の様な変態も、ルーザー様の様な短気で攻撃的な人も、キンちゃんの様な類焼人生の様な子も、原作者が何と言おうとも、彼等は凛として存在するだろうと思います。 |
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