■幸せなバレンタインを迎える高松が想像出来なくて、半日考えていました。尊敬するルーザー様が、心から御兄弟の記念日を祝福したいなら、私は協力しないまでも賛意は示すべきと苦しむ高松の姿が浮かびました。
高松は頭のいい人なので、多少悩んだ所でどう振る舞えば切り抜けられるのかはすぐ分かると思いますが、揺れる喜怒哀楽までは頭脳でコントロールできないかもしれません。頭いい人が他愛ない事で悩むのに燃えます。
(ルーザー様存命パラレルで)
■悩みっぱなしのままでキンちゃん誕生 ■自分はルーザー様にとって一使用人止まりでも、キンタロー様だけは幸せにしてみせると、気合十分の高松。(※自分の息子を預けるくらいだから、ルーザー様からの高松への信頼は相当だと思うが、それは相思相愛と呼ばれないのだろうか。)
■高松の悩みに気が付く幼稚園生くらいのキンちゃん。大好きな高松を泣かせるお父様は悪い奴だと怒る。こんな事で父子喧嘩させてはと、キンちゃんを止める高松。 ■自分はキンタロー様とお父様のお側にいられるだけで幸せだから、我儘を言う気はないとキンちゃんに言う高松。なら自分が高松を幸せにしてあげようと、子供なりに高松を相手にバレンタインを敢行するキンちゃん。お菓子に詳しいグンマのお勧めの洋菓子屋へ、お小遣いをためて高松と行くとか。
■家の中でそんな騒ぎがあれば、どうしてもルーザー様の目にも入る訳で。双子の誕生祝は心を込めて盛大に行うにせよ、それが高松を軽んじたとか、高松はどうでもいいとかではないとルーザー様は思うが、何故高松は毎年冬になると機嫌が悪くなるのかやっと分かる。
大人の自分より、幼等部のキンタローの方が余程高松の事が好きで分かろうとしていて、愛してくれた喜びを返してあげようと、日々努力している事を知るルーザー様。ルーザー様も高松に何もしなかった訳ではないけれど、高松に無欠の幸せを届けていた訳でもないと知るルーザー様。
(己の足らなさを知り、スラムダンクの桜木の様な地道な努力を重ねて、高松へ思いを届けるルーザー様を書き(描き)たいと本気で思います。)
■頭を自分の落ち着く所にまで持って行くため、坊ちゃんの清について書きます。先日、漱石が劇中で他界させたキャラ達について考えていましたが、夢十夜など初期の作品はホラーテイストなものも多いです。溺死するオフィーリアのイメージもあります。
自分は英国と言えば漱石なのですが、当地で発狂したと漱石が噂されたり、悲惨過ぎる貧乏暮らしと郷愁病で漱石がキリキリしていたイメージが強いです。漱石の倫敦塔は、そのまんま処刑シーンの話だったと思います。英国=サッカーするイケメンというイメージしかない人がいたら、ラッキーな方かもしれません。
(英国も結構ハイブリッドな王室で、ドイツ系も濃厚だったりする。ルーザー様の性格を考えると、イングランドやスコットランドのイメージより、プロイセン王国&ドイツ帝国っぽいので、ドイツ系英国人なのかもしれない。英国人で教養のある人はジョークが分かってタフな気がする・・・。)
清が他界した理由
■坊ちゃんを幼少の頃から面倒見ていた清は、もう高齢で、坊ちゃんが松山に行く時に既に寝込んでいたから、時間経過的に避けられなかった。
■松山に行く坊ちゃんを心配し過ぎて、清は疲弊していた。坊ちゃんだけが生き甲斐だった清に、坊ちゃんとの別れは大ダメージだった。
■当時の漱石は、人間の生や幸せは死という最後の場面を迎える事で、完結した美しいものになるという観念があった気がする。沢山生きて、沢山楽しもうという感じが当時の漱石には薄い。
こころの頃だと、先生が死んでもKの所に行くだけだし、私の中で先生は生きているという、という我儘な発想が生まれるけど、若い頃の漱石の孤独感は半端ない。もはや心の病気とっても過言ではなく、鏡子さんが周囲に離婚を勧められたのも頷ける。
■人は死して名を残す的な猪突性が、晩年には死ぬと困るから胸に水をかけてくれと言うまでに変化したのは、すごい事だと思う。三四郎、それから、門のあたりだと、漱石のアバターはほとんど一人で、孤立感に苦しめられる描写が多いのだけど、彼岸過迄、行人、こころでは、同性愛カップルかと思う程、男同士が胸襟を開き合い、抱擁を交わすかの如き理解を深める様になる。
こころは海外だと、同性愛ものとして読まれていると聞いた事があるけど、静との冷え切った関係や、行人でも成人男性同士で観光地逗留とか平気でしているので、漱石にそんなつもりはなかったとしても、オープンだなと思う。実際、若い門下生をゾロゾロ連れていた漱石だったし、門下生VS鏡子さんのどうでもいい喧嘩は見ていられない。 |
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