madeingermany

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...... 2014年12月31日 の日記 ......
■ セーラームーンの功罪   [ NO. 2014123102-1 ]
セーラームーンの功罪についてです。主にテレビアニメの方です。一見、明るい平等主義を掲げておきながら、実は選ばれし女の子の英雄譚でしたというオチ。・・・有能な奴がいいよねとうたっておきながら、ルーザー様から愛されて大事にされるのは、結局青の一族だけだよねという悲嘆にかぶる気がします。

(※悲嘆でも何でも無く、ルーザー様は高松に期待させるような事、一切しなかったのだろうなとも思う。)


■アニメでは、なるちゃんの様なうさぎの一般人の友達が敵に襲われる事で話が進みます。市民を襲う敵から皆を守るのがセーラー戦士という事で分かりやすいのですが、なるちゃん達は単なる被害者ではありません。うさぎのクラスメイトや、街で暮らす普通の女性達にも、うさぎの様な特別な力が眠っているとされるから、襲われるのです。

■初期
普通の人間の持っているエナジー(生命力)を標的に、ダークキングダムは街に攻めてくる

■R
初期と同じ

■S
普通の人間の「ピュアな心」を標的に、敵が街に来る

■スーパーズ
普通の人間の「美しい夢」を標的に、敵が来る

■セーラースターズ
普通の人間の「スターシード」を標的に敵が来る


麻布十番の人達が敵に襲われるから、うさぎ達は登下校中に変身して戦う事になります。皆が襲われるから戦うという分かりやすい構図ですが、何故、狙われるのが普通の女性達なのかと言えば、普通の人にも、うさぎの様な特別な人にも、等しく価値ある「生命力」「心」「夢」「スターシード」が宿るから、です。

セーラームーンが伝えたいのは、普遍的な愛や価値観なので、うさぎが特別だから戦うのではなく、普通の女の子でも、大事なものを胸に秘め、時には戦うのだという事を表現しているのだと思います。

とてもいい話なのですが、昔のアニメなら、選ばれし人のお話の方が多かったと思います。選ばれし人だから、凶悪な敵と戦うのだと。セーラームーンは選民思想を排除し、誰だって頑張れば愛の戦士になれるという、とんでもない平等思想を置いて行きました。

戦士でないなるちゃんや、普通の女の子にも等しく価値があるのだと言っておきながら、うさぎは月のプリンセスで、レイちゃん達はプリンセスを守る不老不死の戦士です。劇中で恋を叶えるのもうさぎ一人で、レイちゃん達は恐らく意中の人と結ばれる事はないでしょう。この不平等さ。

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■ 一年ありがとうございました   [ NO. 2014123101-1 ]
今年も一年間ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

以下は雑感です。

■セーラームーン世代です。正しくはもう少し若い方がターゲットだった気がしますが、テレビアニメは全話視聴済、コミックスも完読、画集も一時は5冊全部持っていました。色々あって手放してしまいましたが、頭の中にはきっちり全てのセーラームーンが残っている事を身に染みて時々思います。

セーラームーンって喪失の話だったなと思います。よく衛さんが敵にさらわれたり、なるちゃんが拘束されたりしてますが、大事なものは壊されて、失わねば価値が分からないというメッセージがあった気がします。大事なものを奪われて、奪回に奮闘する彼女達の姿をいつも見ていました。

(喪失ってルザ高のテーマっぽいなと思った自分はおめでたい。ルーザー様を失った高松の喪失感は彼の人格にまで影響していて、高松が立ち直る日が来るとしたら、彼から愛されていたと信じられる日なのかも。

ルーザー様の場合、彼は兄弟に滅私奉公するお人だ。高松やキンちゃんの方が、ルーザー様のお気持ちを汲み取ったり、対話しようとすると思うが。助けて兄さんって言っても、マジックは自分が可愛いから貴方を見殺しにするよ?マジックは生前のルーザー様に「自殺してわびろ」と言ってた。)

セーラームーンと言えば佐藤監督の愛らしい演出、幾原監督の実験的なムード、榎戸さんのシナリオ、後代のおジャ魔女に続く五十嵐監督のキャッチ―さと話題が尽きませんが、ウテナも好きなので、幾原監督と榎戸さんの頃が印象的でした。



以下は雑感以上に妄想です。

■キンちゃんはもう一人のシンタロー、又はグンマの相棒の様な感じで間違いないし、他に回答はなしでいいと思う。古い言い方だけど、キンちゃんはポジとネガながらネガで、「ネガあってのポジだよね」とか言われる役どころなんだろうなと思う。

■燦然と劇中で光輝くシンタローや、なんだかんだ言ってマジックの嫡男であるグンマがポジなのは異論ないし、キンちゃん自身も今更自分が総帥になるとか思っていないと思う。何故なら、一番自分を愛してくれる高松がそれを望まないから。大抵の自分の我儘を許してくれる高松の、滅多にない否なので多分キンちゃんも選ばない。

■キンちゃんと高松は、光と影とか、ポジとネガというくくりではなく、完全に一つなのではと思う。子供が怪我をすれば、怪我をしてないはずの母親の腕や足も痛むと言うがそれ。ウテナ風に言うと、一人の人間が絶望から這い上がろうとして、自分を二つに引き裂いただけで、いつか本当の生命力を取り戻したら二つは一つになるはずのもの。




■劇場版ウテナで言うと、高松もキンちゃんも、王子様を殺してしまったもの同士。高松を愛し、キンちゃんがつつがなく生まれてこれる様に、ルーザー様が兄から賜った死を受け入れたとするなら、高松とキンちゃんがいたが故にルーザー様はいなくなってしまったとも言える。

本来、高松とキンちゃんを幸せにしてくれるのは王子様であるルーザー様ただお一人であるけれど、既に20年近くも悪鬼の様に殺人を繰り返してきたルーザー様に、高松とキンちゃんを支える気力はもう無かっただろうし、池で溺死する様に、去って行ってしまった。

(※劇場版ウテナでは、ひどい少年時代だった冬芽は、ウテナをかばって死んでいる。暁生も皆の王子様でいる事に疲れ、アンシーにすがっている自分に嫌気がさし、死んでいった。)

高松が自分を取り戻し、ルーザー様を失った悲しみから立ち上がる時が来るとしたら、一緒にルーザー様を殺してしまったキンちゃんと手を取り合う時だと思います。キンちゃんは従兄弟や伯父叔父と一緒にいる間は、決して皆が嫌う亡父の事を顧みることは出来ませんし、「愛する皆のために働く俺」でしかありません。

よく言われる、もう一人の自分とかって都合のいい言葉だなと思います。もう一人の自分ってウテナくらい、生木が裂かれる悲鳴と苦痛を伴ったのものじゃないかなと思います。グンマは高松を好きな(仮)キンちゃんを厭うでしょうし、シンタローは叔父を知りません。マジック達3人にとってルーザー様はただの腐った死体です。

全部嫌な事は忘れる事にした身内の側にいて、キンちゃんは大丈夫なのかと不安を感じます。

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