PAPUWAでグンマが、高松の出現に対して警備を呼ぼうとしていましたが、呼んで彼等は来るのでしょうか。キンちゃんの呼び出しとあれば来ずにはいられないでしょうが、来たところで引き返しそうです。
高松がいなかった数年で新人の団員もいるそうなので、高松が何であるか知らなければ捕縛にかかりそうです。(サッカーの際、報道席に乗り込んできた高松に物申した人は外部の人なのかなと思う。)
高松に付いては、劇中の各人でかなり印象が異なると思います。10代の頃を覚えている人には恋愛脳の面もばれているでしょうし、シンタローや伊達衆の様に健康そうな面々には迷惑な変態でしょう。勉強好きな子だと、学校時代とんでもない才能の男から授業受けていたんだと、大人になって分かるのでしょうか。
社会適応にあくせくした経験があり、父に似て勉強熱心なキンちゃんには、高松は例え変態でも、通報しないだろう相手かもしれません。一緒に悩んだり、考えたりしてくれた人だと思うので。所でキンちゃんを演じた声優さんが、ナデシコのアオイ・ジュンもされていたのを最近思い出し、驚いています。可愛い男の子だった気がしたんですが。ナデシコ見直します。ジュンも補佐官でした。
それからについて考えていました。
■漱石の作品で、男性が女性に積極的だった数少ない物なのかなと思います。若い三四郎はよし子、美禰子、お光さんと女性に囲まれていながら、冒頭で意気地なしと看破されています。女性に迫られても一晩何もできない三四郎と言うのは、漱石の実体験でしょうか。
それから以降、ほとんどの作品の主人公は既婚者になります。漱石は鏡子さんと、20年くらいの結婚期間で7人子供をもうけているので、鏡子さんはいつも妊娠中か、乳幼児を抱えていた事になります。
当時は普通だったと思えど、結婚すれば子供が出来る、妻が妊娠ばかりして困ると、サラッと言う漱石が怖いです。漱石というと淡泊な人、求道的な人というイメージがありますが、欲のない人ではなかったと思います。
■故に行人で険悪な雰囲気の一郎、お直夫妻の夫婦生活についても触れられる場面があります。依怙地な一郎を、直が女らしく和ませてはどうかと周囲はやきもきしていますが、上手く行かない様です。門の宗助も、奪った友人の妻と三児をもうけていたはずでした。結婚すなわち子作りって、仲のいい夫婦とは全く思えない、又は悲劇的夫婦であっても、そうらしいです。
だからかたくなに、時に須永が婚約者同然の千代子に冷たくなったり、行人の一郎が下女である貞をいいなと思いつつ、性的な関係は求めていないとわざわざ断言するのでしょう。普通にしていれば10人近い子供をもうけられる女性を得られるから、あえてこころの先生の様に奥さんをかまわなかったりする場合を漱石は書くのかもしれません。純粋性とかのために。
純粋な性愛が、それからだったのかなと思います。三千代は平岡と結婚していて、辛いながら何とか暮らしていたのに、過去にこだわる代助によって不倫したかのような苦しみと罪悪感に襲われます。代助にとっては無邪気で純粋な求愛が、三千代を幸福にするどころか、半死半生に追い込んだというのは、漱石らしいと思います。
純粋なものは、それゆえに傷つくという事でしょうか。代助は怠け者でだらしなく、ナルシシストで金遣いが荒く、夢見がちのニートです。純粋だの傷つくだの言えた身ではありませんが、漱石の美しい夢を形にした最初の男だったのではと思います。 |
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