■あかぎれが酷く、原稿中に血が垂れないようにしています。何のまじないかと思うくらい血が出て来るので、皮膚科の薬が欠かせません。
■高松だけにしか出来ない事って何だろうと思います。原稿を描いていると、皆似た様なものになってしまうので、無い頭で考えています。南国アニメ通りの、年甲斐の無いおっさんな高松が好きですが、南国時代の高松はいつも無理をしていた気がします。
長年良心に恥じる事をしていたせいですが、いつも横目でシンタローを見ていたのだろうなと思います。ルーザー様に似ている所が無くて、困っていたのかも。自分から外部に友達をたくさん作り、楽しく元気に過ごし、父親とよく喧嘩をする子に、ルーザー様の片鱗を感じる事はなかったでしょう。
シンタローが主人公っぽいというか、ルーザー様がニヒルでヒール過ぎるなのか。環境が違えば、ルーザー様の息子でも健やかで明朗で人に好かれる子に育つのだと自分を納得させていたのかもしれません。
高松の疑問を氷解するかのような子がキンちゃんでしょう。食べ、眠り、怒り、笑い、働き、そういうシンプルな動きの一個一個が、高松を喜ばせている気がします。ルーザー様は悪玉だったけれど、素直で喜怒哀楽を隠さない人だった気がします。高松にしか出来ない事とは、キンちゃんを親の如く愛する事かも。
■そろそろ漱石を信じてもいい頃だと思うのですが、ふと、鏡子さんの目線で漱石を見たらどうなのかなと思うと、作品からにじみ出る何かが気になってならなくなりました。自分も昔は寺田や小宮目線で漱石を見ていて、漱石大明神と漱石が呼ばれてもむしろ誇らしかったです。
小宮が漱石の文物を東北に持って行き、全集を出したと聞いていますが、身近だったはずの漱石にそこまで心酔出来たとは、小宮はやはり只者ではないと思います。漱石の周囲に集まった人は皆優秀で、一定の成果を出した人ばかりだなと思います。
そういう人達と、何故鏡子さんは最後まで親しく出来なかったのかと思いますが、多分嫉妬かなと思います。神と仰ぐ漱石をただの男に引きずりおろしてしまう鏡子さん、漱石の子を産み、ただ一人漱石の伴侶として耐える立場だった鏡子さんに、小宮達はある意味及びません。鏡子さんは漱石にだって言い返す女性だったそうなので、古風なインテリ達とは馴染まなかったかもしれません。
以下は疑問です。
・寺田も小宮も、他の大勢の弟子も皆インテリである。文学者、研究者、科学者、政治家、芸術家、あらゆるジャンルの傑物がそろっていたと思う。
・しかし漱石が長年抱いていた悲しみは、インテリの限界、インテリの無力さだったと思う。漱石は当時最高のインテリの1人になる事で、幼年時の悲しさから解放されようとしたのかもしれない。嫌でたまらない養子時代、年老いた両親や兄と過ごした時間から逃れようとしたのかもしれない。
・漱石がイギリスから帰って来ても、売れっ子の小説家になっても、漱石を苦しめる自身の性格や、身内は変わらず漱石を取り囲んだ。インテリである事が必ずしも幸せだとは限らないのだと漱石は思ったかもしれないけど、見回せば自分を含めて周囲はインテリぞろい。
・無邪気で人に好かれる可愛いインテリというのは余りないと思うけど、漱石が思う風雅な漢詩の様な世界は終いまで訪れなかったのだろうと思う。漢詩自体、中国だと政争に明け暮れる政治家が癒されるかのように作ったもので、漱石が思う程清潔なもんじゃないと思う。漢詩と言えば三国志の曹操・曹植・曹丕だし。 |
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