■荷風の日乗、忙しくて先を読んでいません。偏奇館消失、東中野、明石、勝山、熱海と荷風は転々とします。 谷崎なら疎開中も比較的美味しい物を食べ、松子夫人や彼女の周囲の人達と明るく過ごすでしょうから、荷風の孤影悄然としたところは、まさしく荷風なのでしょう。
荷風の熱海と、谷崎の熱海では全く印象が異なります。景色がよくて魚が美味しい所は同じですが。荷風は世話になった親族とその後金銭的にもめ、谷崎は熱海を舞台にした家庭的コメディー、台所太平記を書いてます。
自分は荷風が好きですが、今書いている高松本に取り込むしたら、谷崎の方かもしれません。荷風も谷崎も、経験してきた不幸や苦労は多大ですが、谷崎の方がコミカルに表現していると言うか、タフなのかもしれません。
暖かくなったらまた熱海へ足を延ばそうと思いますが、イメージはやはり谷崎趣味になります。荷風を内的イメージとして取り組むと、すごく寂しくなります。でも、谷崎程自分は明るく生きられないから、心のどこかで荷風を求めます。
高松にはどちらかと言うと谷崎的なものを付与したくなります。キンちゃんとの関係とか、どんなに奇抜でねじれていても、これは谷崎風味だと思うと自分が乗り切れるので。高松なら荷風的な孤影と内面的孤立が合ってしまいそうですが、荷風のあの雰囲気は演じているのでも、ポーズである訳でもないので。
高松もルーザー様についてなら、家庭的で喜びの多い男だったはずだと思います。
■漱石が虞美人草を書いていた頃の書簡が見つかったそうです。書きあぐんでいる様子が分かります。ほぼ途絶えなく連載していた漱石なので、筆が滞っても無理に書いていたのではと思います。病気をした行人の頃は、かえって自然に書いていた気がしますが。
漱石の嘆きは明暗の時に聞いた事がありますが、やはり虞美人草でも嘆いていたと知り、何だか納得しました。藤尾と小野を結婚させる事はどうしてもだめで、小夜子と小野の結婚も不幸確定、人間嫌いで内向的な甲野は、糸子と結婚してもいずれ彼女の明るさや純真さを潰してしまうだろうと思ったのでしょう。
藤尾を狙っていた宗近の嫌がらせがなければ、藤尾は小野と結婚したでしょう。藤尾の前に小夜子、糸子は敵ではありません。そして何故藤尾母子が小野との結婚にこだわるのかと言えば、父が急死したからです。父の財産は甲野のものになり、内向きな甲野と藤尾母子は、会話すら出来ない位警戒しあっています。
虞美人草の最後、甲野は義母に、本当の子だとか嘘の子だとか気にするからよくないとか言います。義母が藤尾を可愛がっていたのは事実ですが、甲野の性格が余りに情けなくて、情愛以前に手に負えない男だという事実があります。
女二人でどうにもならないから、小野の様な優秀な男を迎え入れようと言う勘定は悪くありません。本来、宗近や甲野が藤尾母子を幸せにすべきですが、宗近は軽薄な浪人として嫌われ、甲野は前述の如くです。漱石は、女性達を守り、幸せにするには男性的な社会的力が必要だと知りつつも、そんな俗なものを厭う漱石には、悩むしかなかったのかも。
明暗でも、津田は解雇寸前、自己破産気味の男です。劇中では要領が悪くとも、誠実な男を好むらしい漱石ですが、津田に誠実さはありません。漱石の悩みを解決するような男性的パワーを漱石は嫌い、藤尾や延子の様な我がある女性を憎からず思いながら、作品を書き進めるから、苦しそうです。 |
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