■メグレ警視を読んでいます。読みやすい長さなのですが、読む時間が無くて一時停止になると、読んでいる時よりかえってメグレの世界に気持ちが行ってしまいます。殺人事件がどれ程起きようとも、メグレ夫人の明るさや、メグレの部下達の団結が不動なのが好きです。
■ミラクル☆トレインの公式サイトは毎年エイプリルフールイベントを行っています。その日の零時から零時までしか見られないイベント画像が出ます。毎年四月一日は忙しく、家でパソコンを開くのが零時過ぎなので考えを変え、近年は一日の零時に先回りして見る様になりました。
■ルーザー様と高松雑感です。
・高松はルーザー様に恋をして、彼と一緒にいたいと思った。しかしながら自分の方を振り向いてほしいという、普通の恋を何故か高松は選ばず、まるで彼の複製の様に自分がなってしまう事を選んだ。
・高松の思いが完全に恋ではなくて、科学者としての敬慕を多分に含んでいるからそうなるのだが、片思いならまだいいけど、両想いだったら大変だろうなと思う。自分の影の様になってしまった高松を、ルーザー様は捕えにくくなったし、高松本来の心の動きとか、もう高松自身でも分からないのではと思う。
・そんななか、玉の様な男の子が生まれる。父の才能と、高松の努力家の面を受け継ぐキンちゃんは、かたくなで心の不自由な彼等がどうやってコミュニケートしているのか若干疑問だが、仲は悪くないらしいとは知っている。
■ナデシコ雑感です。
・劇場版のアキトに自分は違和感を感じない。何故ならテレビアニメでも、アキトは両親が殺された悔しさ、火星が襲われた悲しみで最初から憤っていた。
何故アキトが劇場版まで、暴力的に自分の怒りを解消しなかったかと言うと、憎い相手を攻撃して自分の怒りを解消しても、結局、憎い相手と自分が同じ事をしているのだという矛盾、自己嫌悪に繋がるからだと思う。
・ナデシコにはパイロット三人娘がいるが、リョーコ達は攻撃する相手が憎いから搭乗している訳ではない。職業として乗っているので、どんなに敵機を落としても、自己嫌悪に陥る事はなさそう。
アキトが自分はコックであると主張するのは、内面の憤りを暴力で解消しようとして、無関係の人まで傷つけるより、穏便にコックとして生きる方を選んだからに他ならない。もっとも、コックをしていても、復讐の念が消えた訳ではないので半煮え。搭乗してもシャキッとしない。
・アキトは優しいからパイロットに向かないのではなく、いったん憎い相手に対面したら、相手を八つ裂きにするまで組み合う男だからである。パイロットとしては直情過ぎて、お仕事にならない。ユリカの、アキトは自分を愛しているから、エステバリスに乗ってくれるのだとか言うトンチンカンさは言うまでもない。
・劇場版のアキトの猛々しさは、彼が変貌したのではなく、自分の怒りに正直になり、幸い、ユリカという足枷も敵によって外してもらえたので、存分に暴力に身を浸せるようになったからである。テレビシリーズでエリナが見ていたのは、かりそめのアキトである。
・アキトがユリカと結婚したのは、復讐心を隠してコックとして生きるように頑張った努力の延長上であり、本来の彼の姿ではない。アキトに本当に必要だったのは、素手でブチ殺したい相手と、完全なるパートナーであるラピスだった。
アキトは、もうユリカの下に帰って来ないと思う。優しいアキトを演じるのはもう疲れただろうし、かつてユリカがそうしたように、自分の身勝手な思いで、戦艦だの軍備だのクルーだのを、振り回して満悦するのはまっぴらである。恋だの復讐だのの利己心と、漱石流にいう「ぐるり」が調和する事は無い。 |
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