■久々に原稿を描いています。夏コミに受かります様に。
■二次元は何でもありだとして。深夜ミニスカートで悪と戦う美少女中学生が麻布十番に集っても、作品として面白いからありです。
何故セーラームーンが大ヒットしたかというと、可愛らしさに加えて、普遍的な人間同士の物語を描いたからだと思います。麻布のお金持ちの暮らしは分からなくとも、「素敵な恋がしたい」「お友達が欲しい」「夢を叶えたい」等、年齢や立場に関わりない夢を、セーラームーンはテーマにしていました。
自分も月の姫の生まれ変わりだとか、そこまで途方もない空想に浸る事はなくとも、劇中で亜美ちゃんが勉強を頑張る姿など見せてくれると、「ああ自分も頑張ろう」とか思います。竹淵は断じてマーキュリーではない、しかし、何かを頑張る事は彼女と同じであるという慰めが生じます。
大人になってアニメを見るという事は、いつになってもセーラー戦士にはなれない現実を踏まえつつ、普遍的な物語のテーマ性を愛するという、離れ業がいる事になります。たまに境を見失うのは、「(自分はマーキュリーじゃないけど)自分も頑張ろう」の方がくじけるからかもしれません。くじけても、自分は麻布のお金持ちではないので群馬で頑張ります。
■ナデシコのアキトは、ゲキガンガーが好きなのではなく、ゲキガンガーになりたかったのだという事を考えていました。何かになりたい気持ちを、ゲキガンガーというワンクッションを置いて表現するから、アキトはちぐはぐしています。
リョーコは名うてのパイロットですが、彼女のしている事に「ゲキガンガーになりたい」というワンクッションはありません。父親が軍関係者らしいので、自然に彼女のパイロットになったという感じでしょうか。彼女の隠れた女性らしさは天然で。
ヒカルもイズミも、パイロットになるのにゲキガンガーというクッションは要しません。ヒカルの場合、ゲキガンガーが好きでも、自我をゲキガンガーに委ねるほどではありません。イズミも、婚約者を二度失う悲劇はあれど、いちいち出撃する時にその悲しみを顔に出しません。
アキトには何故ゲキガンガーが必要だったのか。ルリは、ゲキガンガーを愛するアキトに肯定的ですが、白黒のハッキリした世界に自分を投影させて、アキトは安心を得たいのだから、ルリの好意ですらアキトには適切でなかったとなります。
アキトには幸い、ユリカと言う生身の女性がいます。ユリカに向き合う事がアキトの本当の使命だったと思いますが、結局、アキトはユリカから離れました。二次元に自分を委ねた青年の未来は、という所でナデシコは終わります。アキトのその後は、誰も知らない様です。
成長したルリはもう子供ではなく、リョーコやイズミ、ヒカルと対等な女性になっている事でしょう。リアルの世界にいたりいなかったりするアキトを、ルリがどう慕うのか見ていたかった気もします。 |
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