■谷崎は訳せども源氏本人を気に入っていたとは思われないらしく、源氏物語に触れると多くの人が紫式部を崇拝する様になると言われるけれど谷崎はそうではなかったと、谷崎の秘書をされた女性の方が書き残していました。
自身の好みや趣味に忠実そうな谷崎にして、この創作意識と思うと、自分は何か酷い勘違いをしていた気がします。谷崎源氏は当時でもベストセラーになり、谷崎家の経済を潤したそうです。
書いてお金を稼ぐのも、人様に喜ばれる様に作品を書くのも、若い頃は「自分を曲げるのか」「お金のためじゃない」と言い張るかもしれないけど、とても大事な事だなと思いました。
漱石も文豪といえども新聞小説家だったので、作品のあちこちに「明日も読んでもらえるための研鑽」が施されています。いつかこの辺を何かにまとめてみたいです。
■先日、学園ものについて考えていました。「先輩、今日の家庭科の調理実習でクッキー作ったのでよかったら食べて下さい」な展開をルザ高で描いたら、ルーザー様ったら、高松のお菓子をその場で食べてくれず、黙って家に持って帰って兄弟に自慢してました。
お菓子を贈っても反応が薄いので、迷惑だったろうかと困惑する高松と、自宅の居間で、兄弟にこのお菓子を標本にするとか言い出すルーザー様。
学園ものというとあらゆる可能性を秘めていて面白いです。高松と学園ものと言えば、教員としての高松も面白いと思います。普通の男子校の怖い先生でもよさそうですし、キンちゃん一人を大成させるための家庭教師でもいいなと思います。
マクロスFと、ナデシコは学園ものの側面を持っていたそうです。マクロスFは分かりやすいです。シェリルが学校に通ってみたかったと述懐したり、今まさに学園生活を謳歌してるアルトとか、戦闘以外のキャラの見せ場になっています。
ナデシコが学園ものと聞くと、あのテンションはまさしく学園ものだという点で納得します。恋愛適齢期のユリカ、アキトと、恋愛対象外の年齢であるルリという図式なのだろうなと思います。結果として、思春期学園ラブコメの対象外のはずだったルリの人気の急上昇、女性らしい面も見せるルリと、ルリの独走が始まりますが。
マクロスFの場合、学生が戦闘や政治に参加すると言う面で、学園という聖地の意味が深まります。青くさいアルトの魅力はそこにあります。
ナデシコの場合、トップ軍人としての権力を保持しつつ、やっている事が文化祭的という不思議な感じがあります。ユリカはウリバタケの持つ若さとは違う、新社会人らしい初々しさとも違う、テコでも動かない部分があります。
最終話付近でユリカが「あたし自爆します」と口にしたあたりが、ユリカの端的な部分なのかもしれません。親にも教師にも恋人にも、完璧に守られて日々を過ごす人しか、「あたしは死んじゃってもいい」とは口にしないでしょう。性格の明るさとかでは説明し切れません。
こうもユリカが気になるのは、私も社会人の癖に悪い意味で学生の部分が多いからだと思います。やいのやいの言ってユリカにすみません。 |
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