■東北本線、IGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道に乗って来たいです。夏の東北は暑く時期が難しいですが、適宜新幹線に乗れば数日間で行ってこれるかなと思います。
■下で感情的になるのは、という事を書いているのに、冒頭は感情的に書きます。短髪高松が好きです。南国後、島での負傷から回復した頃の高松です。やっぱり男らしい身なりも似合うしいいじゃないかとか、端々の感想も含めてですが。
グンマ、マジック父子へのみそぎは済ませたのかという大きな疑問のある高松ですが。恐らくマジックは、高松の処分について、昔からそうだったようにルーザー様に一任したのだろうと思います。サービスが案じる程の怪我なら、高松個人が支払える償いの最たるものだったのだろうと思います。
ルーザー様と高松の関係を知っているだろうマジックならそれで高松のみそぎは終わったと思えるでしょうが、グンマには通じない昔話に過ぎません。父が納得しているなら、同じ罪に罰は二度与えられないという原則があった気がするので、当事者なのにグンマには手に負えない案件になります。
それでも高松が好きだと思うのは。ひとえに彼への感情で目がくらんでいるせいかもしれません。高松を糾弾する原稿を書こうと思った事もありますが、書けませんでした。キンちゃんなんて、グンマの内心を知ってか知らずか、高松に甘えたり頼ったりしていそうです。
■感情的になる事のどの辺が駄目なのかと言うと。選択肢が異様に減る事だと思います。同じ様な言葉でエモーショナル、感情豊かという言い方がありますが、そちらは洗練された感情表現なのだろうなと思います。
義務教育中、通信簿に「感受性が豊かだ」と書かれた事がありますが、担当の先生が言いたかったのは「学校でのリアクションが酷くてうるさいので親御さんもよく言って聞かせて下さい」という事だったのだろうなと思います。「そんなに敏感なら、お友達の気持ちにも敏感になれませんか」とも。
父母、祖母ともに私を根気強く見守ってくれたので、幸いサラリーをもらう身になれました。サラリーをもらえばいいと言う話でも無くて、今の職場でなかったら即、首だろうなと思うくらい、「感受性豊か」です。
感情と言えば喜怒哀楽です。4つの中で目立って攻撃的なのは怒りの感情なので、いくら自分でも怒りのままに行動はしないでおこうと思います。ですが恐ろしい事に、喜び・悲しみ・楽しみも暴力に繋がるのだと、この年になって思いました。
リミッターなしで、例えばライブなどに行ってキャーキャー言うのはストレス発散です。ですがあくまで現実の世界でキャーキャー言い過ぎれば恐怖を抱かれるかもしれない訳で。なんで、アニメキャラのキーホルダーを親の形見の様に握っていた私を、クラスの子が怪しんだのか今分かりました。おかしいのは私でした。
怒りに自分をまかせるなんてしないと固く思っていましたが、喜び・悲しみ・楽しみには完敗していました。負けた事にも気が付かないくらい日常的な敗北でした。理性で物事を捕えれば、「自分も浜辺の砂の一粒」「宇宙の大きさに比べれば今の自分の感情などなんだろう」と思えるのに、感情とは、「あたしあたしあたし」に過ぎない軽薄なものなのだと思いました。 |
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