細雪中巻を読んでいます。妙子の出番が多いです。上巻はオーソドックスに雪子の見合い中心、中巻は妙子の冒険譚、下巻は姉妹平等に出番があります。去年読んで、忘れていたシーンとかあったので面白く読んでいます。
細雪と言えば雪子、又は幸子ですが、妙子にも中巻でスポットライトが当たっています。彼女は谷崎の悪女の系列のキャラなのか、ロキ的な存在なのか。洋行に失敗したり、恋多き性格が谷崎にかぶるので、意外と谷崎の分身なのかもしれません。
耽美について考えていました。美とは機能性、実用性、普遍性と合致する部分があると思うので、美のみ追求というとよく分からなくなります。悪魔主義、耽美主義と名高い谷崎が愛読書なのにどうした事でしょう。
数日このワードを引きずるとは、これが地雷というものなのかもしれません。南国の後半と言えばキンちゃん、ルーザー様です。彼等の生き方はローマ帝国の建築の様であり、華麗でも無駄がないのが特徴かなと思います。
高松が悪魔主義か、耽美主義かというと自分は思わない方です。彼もどちらかと言うと、均整の取れたものの方が好きなのかなと思っています。数学的に美しいものとか。高松はルーザー様とキンちゃんの、独自な均整ぶりに目をキラキラさせているんじゃないかと思います。
あの鼻血は高松の計算通りに、彼の望ましい事態が起きた時のものだろうなと思います。本当に予想外で、死ぬ程嬉しい時は高松は黙っているのかも。キンちゃんが目覚めた時の様に。
■荷風の価値観は彼の両親、兄弟他と和合しない。わずかな友人と、荷風の世界を愛する人達の手で長くその作品は愛されるが、彼の価値観が荷風自身を幸福にしたかというと難しい。
荷風が耽美であるなら、耽美は不幸である。世の中、美より芸術より優先されるものが沢山あるのだから、美の一点に留まれる人は限られており、ある意味耽美とは挑戦的でもある。
(西洋で耽美主義が始まった頃は、合理化が躍進した頃なのだそうです。美術史は詳しくありませんが、アールヌーボーが合理化と姉妹の様な存在なら、耽美は喧嘩友達みたいなものなのかも。)
荷風の生き様の如く、妥協なく自分の美を求めた場合どうなるのかというと。やはりそういう人は荷風と同じ最期なのかもしれない。そこまでの覚悟が南国にあった・・・(以下略)。 |
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