■文学部卒なので、教員免許を持っているのかと若い頃は聞かれました。持っておりません。文学部卒の数少ない就職先なのに、自分は課程を取りませんでした。ならどこに就職するんだと言う話ですが、人生をなめていたのだと思います。在学中の夢は研究者とか、上級公務員とか、もう二度と夢にも思わない仕事でした。
一方で、仮に課程を取ったとしても、教員をしている自分が想像出来ませんでした。在学中に、働く自分を想像する事自体難しいと思いますが、「先生」である自分程、世の中の害悪になりかねないものもなかなろうと思いました。
こんなご時世なので、父は私に医療系の学校に行く様に言いました。数学が出来ないあたりでアウトですが、これまた、「看護師」の自分などはあってはならないと思いました。上述の教員にしろ医療系にしろ、注意力散漫で感情に流される自分がそんな仕事に就いては、災いを招きます。
あと、自分は保育園から大学まで、関わってくれた先生という先生に過剰な思いがあって、先生方の世界は聖域でした。今思うと、教育というお仕事をしている方達なのだという理解も及びますが、小さい自分は、この方は親でもないのにこんなに親切に自分に色々教えてくれるなんて、きっと優しいからだと思っていました。
どんな子に対しても、担任になった以上、卒業まで関わらねばならない方達だったのだと今思いました。給与以上の負担を自分は先生方にかけていたので、今でも「教えてくれる方」に出会うと、平身低頭の思いです。
■夏コミ原稿の、最後の数項を描いています。高松だけで10冊出した事になるので、もうネタがないのではと焦りましたが、スパークでも本を出すと思います。どこまで劇中と妄想が折り合うかバトルです。
以下は妄想の方です。
南国後、不安定なキンちゃんを応援する高松という図式に勝手に燃えていますが、あの頃の高松も不安定だったなと思いました。かえって、あまりにも別人の境遇になったグンマの方が、腰が据わっていたかもしれません。
不安定なキンちゃんを応援しながら、こんな可愛い子を今まで見逃し、24年間も寂しい思いをさせていたと思うと、涙が止まらない高松。泣きたいのは高松に振り回されたグンマだと思いつつ、やっぱり高松とグンマは、そういうお互いの湿っぽい所は見せ合って来なかったと思います。
泣き虫グンマ、はあくまで本当の苦しみを見せない方便だったのかなと。本当に泣き虫グンマだったら、自分の作ったメカで余所様のお住まいを破壊しに来るでしょうか。又は、同世代との試合でシンタローとやり合ったりとかも。
そんな高松の心のより所は何かというと、やっぱりルーザー様です。ルーザー様と出会って以来誰にも言わなかった憧れ、恋、寂しさ、孤独、希望などが、一斉にあふれそうな高松。我慢しても、なんか嬉しそうなのはキンちゃんに伝わる訳で。何故か高松と一緒になって嬉しくなるキンちゃん。
イギリスに何年も留学していた漱石の留守を守っていた、鏡子さんと娘達ってこんな感じだったのかなと思いました。あの漱石に嫁いで、文句らしい事を言わなかった鏡子さんが自分の高松のモデルかもしれません。鏡子さん程、歯切れのいい人ではないと思いますが。 |
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