■そういえば英国貴族が主人公の、身分差の描写が相応にある小説を、過去結構読んでました。階級差に興味があった訳でなくて、優雅にお茶を飲む場面とかが好きだったのです。そのお茶もオースティンのエマを読むと確か、所属する階級ごとにお茶の時間、食事の時間と細かい決まりがあるようで、思えばガチガチな何かがあるようです。
身分差と恋と言うと、やはりエマでしょうか。高慢と偏見はダーシーがエリザベスに献身的過ぎる気がしますし、他の小説でも、身分の差や階級差は当たり前の事されているので、エマの様なコミカルな階級と階級のきしみの場面は少なかったかなと思います。
エマは近隣で最高の地位にいる未婚女性です。隣人はエマのいう事を基本的に聞かねばなりません。ナイトリーはエマに自分の立場を顧みる様に何回も諭しますが、エマは聞かず、村民をオモチャにして恋のエンジェルを気取ります。エマの傲慢さが小説の面白みですが、当のエマの「男」は生まれた時から実は決まっています。
身分的に釣り合うナイトリーしか、エマと結ばれ得る男性はいません。エマが子供っぽいままごとを卒業してくれたら、ナイトリーはエマを妻にするつもりだったそうです。そうでないと村が落ち着かないでしょうし、ナイトリーも生涯独身という気はなかったでしょう。
何が言いたいのかと言うと。身分によって、すべき事も出来る事も大体決まっているという事です。期待されている生き方を選ばないなら、生来的な財産や安穏さを捨てねばなりません。小公子のセドリックの父の様に。
ルーザー様の場合、兄に尽くすと言う最大の自己表現以外に、何か考えていたものがあったのでしょうか。兄以外選ぶものがないから、自死に至るのですが。多分、ルーザー様は自分の立ち位置を兄との関係でしか見ていなかったのだろうと思います。高松は家来。
そう思いながら、高松にエリザベス・ベネットであれと思う自分がいました。ダーシー程の男の妻をつとめるには、相当の頭脳とタフさと愛敬がいるでしょうが。ちなみに英国軍人は戦地から大体、クリスマス休暇やその他でよく家に帰って来ます。
■細雪を今日読み終えました。お産のために帰って来た妙子に対し、幸子が冷淡だと思いました。三好と言う、階級の異なる男性の子供を生む妹を、そういう目で見ているのでしょう。
何事も平等でないのが細雪の世界だったのかもしれません。近代日本の終着点の様な細雪の世界ですが、幸子は人類皆平等だなんて思っていないでしょう。妙子にせよ、板倉との結婚はかえって気を遣わないからいい、板倉の身内はあたしをチヤホヤしてくれると言っています。妙子の場合、他愛ないノロケも入っていたと思いますが。幸子の身分意識は劇中で貫かれています。
長女鶴子は家計が苦しく、法事も省略して行う有様、幸子がたまたま貞之助という有能な婿をもらっただけで、蒔岡家は火の車です。雪子の見合いについての高慢な態度、妙子の異性関係で家名とやらはないも同然なのでは。
鶴子には幸子の様な財力がなく、結局最も蒔岡家のよかった時代を知る幸子の価値観で、細雪は進みます。幸子にも苦労や悲しみがあったと思いますが、妙子のお産に顔を見せたがらず、雪子と貞之助の懇願で、やっと自家用だった高級な薬品を持って病院に行った幸子。コラミンとか、自分や貞之助、悦子、雪子にいずれ使うつもりだったのでしょう。 |
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