■感情について考えていました。知人の保健師によると、心の中のパッとした反応を制御するのは出来ないらしいです。ただし、その後の対応と言うか行動を、よく考えて決める事は可能だそうです。何かあった時「よく考えて」というアドバイスはあっても、「よく感じて」というアドバイスは聞かないのは、そのせいなのかなと思います。
アクション性の高い感情は恐らく怒りだから、自分も怒りに任せて何かするという事は少なくなるようしたいです。せいぜい仕事帰り、気分転換にスーパーで多めに野菜や菓子を買って帰るくらいで。
怒りは怒る自分にも不快な感情なので、いち早くどうにかしたいと焦るのでしょう。怒ったら10秒待ってみる、深呼吸するとか、古典的な方法が意外といいかもしれません。
ところが、喜びや悲しみは余りアクション性が高くないのか、内側にこもりがちです。にじみ出る嬉しさとか、内なる悲しみとかいう言い回しもあったと思います。個人的な感情を内面にこもらせるのはまだ平和的かなと思いますが、その辺を自分で珍重しすぎると感情が怒りに傾くのかもしれません。
■高松は南国でもPAPUWAでも、特異体質でなく、総帥一族でない自分にいじけていやしないかと思います。南国、PAPUWA間で唐突に「高松がすねた」のだと聞いて、はて、あの高松がすねるとは、むしろグンマ様の喜ばれる事なら何でもしよう彼が、今更何にすねるのだと思ったものです。
南国アニメの高松も、そういえば焼きもち焼きでした。当時従兄弟同士のシンタローとグンマが抱き合っても、しかもシンタローは日本に帰れる嬉しさと感謝のハグを、これからお世話になる他人様にしただけだというのに、あのジェラシー具合。自分も仕掛け人のはずなのに。
高松は不憫な自分の、南国当時唯一の幸せであったグンマとの交歓を邪魔されるととても怒るのでしょう。自分はかわいそうな男である、という自覚あっての迷惑行為だとしても、四十路にして「自分かわいそう」と思っているとしたら高松が心配です。
なんで高松が自称不憫なのかと言うと。ルーザー様を失ったからですが、ルーザー様存命時も、あれこれ訴えがあったのではと思います。ルーザー様が大好きな兄や弟の話をしたり、彼等と親しくしていたりすると、高松は世界の終りの様な顔になるのでは。
ルーザー様は高松の落ち込む理由が分からないし、高松の機嫌など取る気はないから、ひとまず無視するとして。その後、もしかしたら高松も兄弟が欲しいのかもしれないと、明後日な解釈をするかもしれません。
お前も僕の弟みたいなものじゃないかとルーザー様に言われ、翌日マジックに退学届けを出して姿をくらます学生高松。本人とすると妥当で正当な方の行為らしい。ルーザー様自らの手で探し出され、連れ戻されてお説教されるもなんか嬉しそう。
アラシヤマも面倒な人ですが。アラシヤマの場合、友達が欲しくても出来ず悲しんでいた所、シンタローに出会い、激しい好意と嫉妬心を抱いた事が彼の物語の始まりだったのでしょう。
アラシヤマには、普通にしゃべるという事が多くの場合出来ません。事務的な報告や、わだかまりのない相手なら出来るらしいです。普段から相手を見下したり、卑屈だったりで、付き合いにくいと思います。ミヤギの様に自信家ではなく、トットリの様に柔軟でもなく、コージの様に快男児でもないアラシヤマには、士官学校が地獄だったと思います。
自分も、人様同士が楽しそうにおしゃべりしたり、遊んだりしているのを見ると、「きっとああいうふうに振る舞う訓練を受けたのだ」とよく思いました。そんな事は無く、ガンマ団の空気がマーカーの修業時代よりゆるくなったのではと思いますが。 |
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