■温泉に行って来ました。熱めのお湯で有名な所でした。かの地に親戚がいるので挨拶がてら、近くの旅館で立ち寄り入浴してきました。本当に熱く、わずかな時間で体が温まります。湯はナトリウム・カルシウム−硫酸塩温泉だそうです。熱いですが刺激は少ないのでゆったり入れました。
観光地でありますが、一般の生活に温泉が溶け込んでいる場所です。外湯もいくつかあり、今でも地域の方の交流の場だそうです。自分は今日湯に入り、食事をすると、もう後は休むだけです。海水浴をした後の様に、体に力が入りません。
明日は新刊の表紙を描きます。誌名は「お父さんありがとう」です。ルーザー様に感謝する本のはずですが、細かい行き違いで、ルーザー様が難儀しています。高松はいかなる時もすねやすく、キンちゃんはママが好きとなると、書いてて(描いてて)よくルーザー様はめげないなと思いました。
■ルーザー様に恋する若い高松、というのは南国の後半からして想像しやすいです。南国中盤で、ギャグでも嫌な男全開だったのに、どんな初恋だったのだとギャップ萌えと言うか、もはや恋する姿の方が本体に近いんじゃないかと思えてきます。少女漫画でよくある、友達の前では普通なのに、好きな先輩の前ではしおらしいあれ。(ヒロインじゃない。)
でも、高松がどんなにルーザー様の前ではしおらしくしていたとしても、隠せない地の部分はある訳で。またルーザー様も、研究室に花とか飾ってもらっても喜ぶお人でないと思います。サビやハレに何かしてもらうと嬉しいと思いますが、他人に関心の薄いルーザー様。
ここまで書くと、ルザ高は可憐な片思いの物語という事になりますが。妄想ながら、南国でアスに体を乗っ取られたルーザー様は、息子のキンちゃんの感情に訴えるために、高松を攻撃します。初めて心が通じ合えた人に怪我させられて、怒り心頭のキンちゃん。
高松がルーザー様の事を数10年の中ですっかり忘れ、執着しなくなり、新しい恋をして幸せになっていたらと、ルーザー様は思わなかった様です。自分の息子が無事生まれて成人している様子を思い浮かべられるのは自然な事だとしても、その息子の側に高松がいるのだと、何故ルーザー様は思えるのか。
キンちゃんに自分を殺させたいのなら、他にも彼を誘導する方法があったでしょう。あの時島にいた男達は、皆、ガンマ団関係者か青の一族、又は赤の一族しかいないので、高松が顔を出していたのは、団員としての仕事に過ぎなかったのではとも思えます。
一瞬でも命が蘇ったルーザー様の心には、兄弟への詫び状もあったけれど、新しい命としての息子、息子の側に高松がいないはずないし、高松が僕の息子を愛さないはずがない、息子が高松を必要としないはずもないと、ルーザー様は思ったのでしょうか。
疑り深くて臆病で、賢さと多感さの使い方が間違っている高松を、そこまで受け入れてくれた人はルーザー様が初めてだったのでしょう。高松の恋は少女漫画の脇役の様なものであったとしても、ルーザー様の愛は古典小説の如き深いものであったのかなと思います。 |
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