■妄想のルーザーさんちについて。特に豪邸と言う訳でなく、でも蔵書や研究目的のサンプル、施設は中堅大学並なのでセキュリティは整っている。
普通に防犯はしているが、別名眠りの森と呼ばれる、鬱蒼とした巨大植物も番犬の様に家を守っており、時折、郵便配達の人が植物に捕食されかけ、郵便公社、宅配会社、近所の蕎麦屋等への弁償沙汰が絶えない。
ドクター高松曰く、氏の仕事の特性、極秘情報が多数保存されている以上当然の防壁であり、ましてや御子息のキンタロー坊ちゃんに何かあってからでは遅いので、これでも足りないのだとの事。
この間、家の主であるルーザー氏と、植物を管理しているドクター高松が口論になり、言った言わないという大人らしからない展開になった。怒ったドクターが、「貴方は確かに何々とおっしゃいました」と、証拠として盗聴器の録音を再生しようとしたので、驚いたルーザー氏は、喧嘩を中止した。
息子の身の安全と、仕事上の機密保持についてのドクター高松の努力は評価するものの、プライバシーに侵入するかの様な彼の振る舞いまでは解せないルーザー氏。上官として彼を問い質した所、やり過ぎを認めた。
ひと段落して、氏と息子が家で教育番組を見ていた際。おとぎ話の、眠りの森にやって来た王子様の前では、刺々しいバラさえ道を譲るが、それはバラの中のお姫様が王子様にこちらへ来て欲しいからなのだという意味なのだと、何やかやで解説があった。
そういえば、蕎麦屋の青年を丸呑みした巨大植物は、何故か自分と息子にはちゃんと道を開けるのだと氏は思った。
■昔は漱石を読んでも、苦沙味先生の愉快な生活、いつの間にか登場している迷亭のダジャレ、三四郎の翻弄され具合などしか見ていなかったのですが。最近、雑司ケ谷墓地で拝んできた漱石の墓地には、漱石の名前に並んで、鏡子さんの名前もあるのだという事を思い出す様になりました。
これから道草を読むつもりです。昔は戦前の作家のゆかしい日常と思って読んでいましたが、戦後も活躍した谷崎なら、道草の世界を避けるだろうと思います。谷崎や荷風は作家として大成すると同時に、生まれながらの家族との縁を薄めていったのですが、漱石は延々古い縁者と付き合いをしています。
市内暮らしだから仕方ないとうなら荷風もそうですが、道草の「漱石」のイライラは実に頂点です。最後の細君の「お父様のおっしゃることは何が何だか分からないわね」を、自分は漱石作品の描写の最高峰の一つに挙げたいです。
あの状態で妊娠、出産、子育てをする細君をすごいと思います。松子夫人は、谷崎に内幕を小説にされてショックだったらしいですが、鏡子さんの頻度や如何に。作品は作品として、独立して観賞されべきものだとしても。
漱石というと、三四郎の様なみずみずしい世界も素敵ですが、既婚者からみた日常の描写の方が多い気がします。漱石自身が結婚して、家庭を持った後で作家デビューしたからかもしれませんが、こころの先生の回想などを除けば、ほとんど既婚者の生活の描写が劇中を占めています。
鏡子さんと漱石の弟子達に、相容れない所があったと聞いています。鏡子さんは配偶者として漱石の側にいて、弟子達は漱石を神か仏の様に崇めているとなれば。どうしても漱石観に差異はあるでしょう。
荷風は、あまり漱石を畏敬すると言うタイプではなかったですが、漱石の死後に鏡子さんが内輪の話を公開した際、プライバシーの公開自体に異議ありと日乗で言っていました。鏡子さんとしても、本当のプライバシーを公言する事は無いでしょうし、自分の性生活を暴露してきた荷風が何を言うのだとも思いました。
作家自身が自分の事を暴露するのは可、縁者が言うのは駄目というのが荷風の主張だと思いますが、日乗を読むと、荷風と接した女性の名前も癖も年収も大体分かるので、荷風にこそ意義ありです。
なんやかや言っても、執筆してきた漱石の側にはいつも鏡子さんがいたのだと思います。弟子達の様に宗教めいた熱心さは彼女になかったとしても、あの漱石に家庭を与えたのは彼女だったのかなと。だから、漱石がいつまでも昔片思いしていた女性とか、義理姉などに執着しているのが、少し悲しくなります。 |
|