連休中、漱石の道草を読みました。漱石の半生が独白されています。親兄弟妻子についての述懐が多く、弟子達や恋した女性などについては余り触れられていません。弟子達が漱石を熱く慕ったのは有名ですが、漱石が弟子達をどう思っていたのかはよく分かりません。
猫の寒月、三四郎の小川三四郎などは、それぞれ寺田、小宮がモデルだそうです。猫の細君、他の作品の妻達のモデルが鏡子さんなら、鏡子さんのイメージは何度となく小説になっているのだと言えそうです。弟子達は鏡子さんが羨ましかったでしょうか。
道草は暗めの話ですが、お住の不敵な振る舞いで小説が優しく仕上がっていると思います。漱石は猫の頃から、妻や娘の描写が優れていると思います。決して楽観して書いている訳でないのに、漱石の彼女達への信頼感と希望がある気がします。
以下は痛い妄想です。
■グンマについて思った時、浮かべる笑顔の意味がルーザー様に近いなと思いました。南国、PAPUWAともグンマはよくスマイルを見せますが、彼は他人を和まそうとして笑うのかもしれません。特に高松を。ニコニコしているグンマ、子供っぽく振る舞うグンマから、周囲が威圧感や脅迫的なものを感じる事は無いでしょう。若い青の一族、それも両目秘石眼なのに。
ルーザー様もスマイルしますが、ハレもマジックも怖がっています。笑う所じゃない所で微笑むからです。グンマは「生のままの怖い自分」を隠そうとして笑い、ルーザー様は「僕は怖くないよ、僕は貴方が好きだからこんな事するんだよ」と、怖い事しながら同時進行で説明的に笑うから、肉親でも恐怖するのでしょう。
微笑みについて、グンマの方がルーザー様より上手だったのだろうと思います。高松でもグンマの本心は読めなかったと思います。表面的ににこやかなら、それ以上の解釈を高松は求めなかったとも言えますが。高松は、キンちゃんが泣きべそかいていたら、反撃も恐れないで本心を探るのに。
■江戸時代あたりの武家の結婚で、家格が異なるらしい女性を迎える場合、一度その女性を生家から家老とかの家の養女にして、身分を上げてから婚礼に至るとか何かで読んだのですが記憶が曖昧です。
高松がいつまでも、自分は庶民だから、青の一族じゃないから、総帥一家とは他人だからとすね続けるなら、マジックの親類の養子になれないもんかと、ふと思いました。リキッドがハレや他の青の一族と対等に振る舞っているのは、親御さんが政治家だからと思われるので、高松も身分を上げる方法はなくはないのかなと。
でもマジックと並ぶような一族の男性達は、皆マジック、ルーザー様、ミツヤに殺されているらしいので、高松の養親候補は見つからなそうです。こんな時に、一族の権力を一極化した事を悔やむルーザー様。
源氏物語の明石上みたいに、権力者の子供の生母として存在感を持つキャラにも高松はなれませんし、本当にすねるしかない人なのかもしれません。キンちゃんは高松のいつまでもすねる理由は一応分かるものの、側にいてくれない高松に何度となく癇癪を起していそうです。
高松のそういう所について、意外とキンちゃんよりルーザー様の方が耐性がありそうです。高松という人の源泉がルーザー様その人なので、ルーザー様が高松をかばう姿勢であるのなら、高松が動じる理由はないからです。
正式な奥方でもなく、子供をなした訳でもなく、実家とは縁が切れている紫上でも、源氏が側にいれば不安は減ります。ただし朝顔、六条御息所、葵上、明石上、女三宮と延々ライバルが続くので、出家願望が高まりますが。
ルーザー様なんてブラコンで横暴な所はあっても、浮気はしないし、子煩悩だし、仕事熱心で、高松が不安がる事は無いと思うのですが。多分、照れ隠しでしょう。キンちゃんは高松がすねると一緒になって感情が揺らぐと思いますが、ルーザー様は冷静に高松を見守ろうとするので、あまりの恥ずかしさに高松はすねなくなると思います。 |
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