■夏の風物詩・怪談が苦手です。架空のものと思えば怖くないのかもしれません。多感な頃は、「いや待て幽霊って浦飯幽助の事で、妖怪って妖狐蔵馬の事だ」と、頭を幽白で一杯にしてやり過ごしていました。
■昨日から設定の話です。例えるなら学歴みたいなもので、どうしても当人が得たかった設定もあるでしょうし、物の弾みでそうなった設定もあるでしょう。
キンちゃんなら「若いけど立派な科学者」と言われれば嬉しいでしょうし、「父親と家庭教師が学者なのだから」と言われれば多少ムッとすると思います。自力で得た設定は嬉しいし、選びようがなかった設定は触らないで欲しいものなのかも。シンタロー・コタ・グンマも、父親と自分については曖昧な態度かもしれません。
あくまで想像ですが。キンちゃんは高松に「ありのままの俺を見てくれ」と思ったかもしれません。高松には困った主張で、キンちゃん自身がこの上なく可愛くて、でも彼がルーザー様の息子である事実も、高松には重要です。高松の場合、ルーザー様のかっこよくない部分も受け入れた上での息子への愛なので、キンちゃんがむずがるのは一時的な事の様な気もします。
貴方が貴方だから好きというのは、少女漫画でよく見かける流れでしょうか。マイナスの設定があっても、ひっくるめて貴方が好き、というファンタジーが好きです。ルザ高がそれに近いのかもしれません。
(少年誌はバトル、スポーツものの場合結果を出さないと、そのキャラは物語からフェードアウトしそう。)
■読んで頂いた方に不愉快な日誌になっていないかと、不安です。考察の意味合いで書いている事項もありますが、根拠や結論をごり押しする、あるいは何かを害する意味合いはありません。
以下は雑感です。
南国&PAPUWAについて。舞台は、青森や広島という単語が出ていてもファンタジーです。恋愛要素、バトルトーナメント方式等を取らないで、純粋に「家族」を骨子にして物語を進めていった点が長所だと思います。
シンタローに彼女が出来るとか、マジックの奥さんが満を持して登場とか、一切しなくても彼等の日常を描き切った点がすごいと思います。カミヨミ他の作品もそうですが、濃い・熱い・すごい脇役を描かせたら類のない作家だと思います。容赦ないギャグとか、アラシヤマが好例だと思います。PAPUWAのアラシヤマの仕事一徹さ、根性の座った所が好きです。
その妥協のなさが、物語の中枢にまで到達していればと思います。大ナタでぶった切る勢いで、コタがシンタローを殺すとか出来たのなら、他にも息を飲むような展開が考案されていたのではと思います。
南国アニメを楽しんだ人が、シンタローがコタに勢いだったとしても殺されるとは夢にも思わなかったでしょう。殺したコタローにしても、一時の興奮が冷めてシンタローとの思い出を思い返せば後悔の嵐でしょうし、シンタローにかばわれたマジックも自分の今までの行いを恥じ、悔いたのでは。あのカオスを自身がまとめる事が出来たならと思います。(コタにもマジックにもそんな気配がなかったけど・・・)
(シンタローの二度目の死、本当はマジックの子供ではない、マジックもシンタローを殺す姿勢を見せる、など大どんでん返しが何回もあるけど、物語の収拾には辿りついていない気が。南国後半の山場は、ルーザー様の述懐と高松の退場、キンちゃんの父殺しにある気がする。) |
|