madeingermany

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...... 2015年08月06日 の日記 ......
■ 上下   [ NO. 2015080601-1 ]
■二次元で「文句言わない」キャラと言えば、佐為が消えた後のヒカルでしょうか。佐為が消えた後のヒカルのたくましさは男らしいとか言う次元でない気がします。肉声を最早伴いません。

高松も我慢強い方のはずですが、耐える方の人でない気がします。キンちゃんが寂しくて泣いていれば、飛んでいくし、亡くなったはずのルーザー様がお姿を現せば混乱して声をかけてしまいます。そのうえ鼻血が出ます。

他人本位の渦にあって、文句言わない男といえばグンマ、トットリもでしょうか。両者とも周囲に献身的で、笑顔の絶えないキャラです。ただグンマは高松を隠居にそれとなく追い込んだでしょうし、トットリはスマイルでアラシヤマに殺意を向けるので、2人とも内面が湖面の様に穏やかな訳ではなさそうです。




■親の小言と冷酒は後から来るという言葉を思い出しました。自分は人様から言われた事、された事を忘れない脳らしく、勝手に再生されては何十年も前の事を味わっています。大体辛い方の記憶です。

ふと見てしまった刺激の強い絵や漫画やテレビ番組を、本当に勝手に頭が再生して来ます。安心できるもの、好きなものしか見ない、しない事しか自己防衛の方法はありません。ともあれ、辛い辛いと感じるのは自分の勝手でも、なんか違うなと思いました。

自分の家族にも友人にも、愚痴を言った姿を見た事がないと言う人が何人かいます。愚痴ってもらえる程その人に親しく思ってもらっていない、頼りにしてもらっていないせいも多々あると思いますが。そういう人に対する畏敬が、年々強くなって来ます。




■ヒカルの碁を読んでいます。佐為がいなくなった後で、佐為の強さを知るヒカルですが、「強い奴に打たせなかった」後悔はあっても、「大好きな佐為にあんなひどい事した」とは思いません。そんな吐露、単に読んでいる私が自己中な期待をしただけでしょう。

貴方が好きとか嫌いとか以前に、碁という最大の関心事がヒカ碁にはあります。佐為がいなくなっても物語が終わらないのは、囲碁を打つ人がいる限り終わらない話だからでしょう。

碁を打つ描写に特段の重みがあって、例えば碁以外の和谷のお話はまずありません。緒方先生曰く、碁より面白いものはないそうなので、お付き合いしている女性の話とか一切出てて来ない方が自然なのかもしれません。アキラは名人の何歳の時の子なのだとか気にしては、ヒカ碁は読みにくいです。

少女漫画の場合、舞台が文化祭だろうが、体育祭だろうが普通の日だろうが、話題は大体「好きな男の子の話」だった気がします。女性にとって恋は人生そのものだけど、男性には挿入歌でしかないとか言う格言があるそうです。まさしく緒方先生?



■ヒカルに変な解釈をしたくないです。ヒカルを冷たいとか、わがままとか、自分勝手が過ぎるとか言えば言えますが、言っても仕方ありません。ヒカルは、というかヒカルの碁と言う物語で、「優しくしてあげられなくてごめん」という発想はありません。指導碁なら別ですが、盤上で優しくされてもお互いなんにもならないでしょう。

ヒカルが盤上の佐為のすごさに気が付かなかったのは、ヒカルの腕が未熟だったからです。碁が打てるようになったから佐為のすごさが分かる訳で、碁が出来ないうちは、邪魔な幽霊くらいにしか思えなかったようです。

すごく現実的な描写だと思います。子供は大人は身勝手だとか、理不尽だとか思いますが、いざ自分が年をとると、やはり昔出会った大人の様に生きざるを得ないのを知るでしょう。ヒカルも碁が打てないくらいで泣くなんてと思っていた様な。

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