madeingermany

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...... 2015年08月12日 の日記 ......
■ しあわせ   [ NO. 2015081201-1 ]
■雨月物語を現代語訳ですが読んでます。柴田作品から滲み出る何かの完成性を他で探すなら、雨月物語が近いのかなと思いました。男×男、男×女、悲惨な死、恨み、不幸、復讐、怪奇、基本的に短編である事など。

そう、短編がいいのだと思わせる所が両者にあります。キルラブとか、考察も推測も拒むくらい短い話の方が柴田亜美先生の味が出ると思います。でも雨月物語になくて先生にあるのものが、「萌え」でしょう。恐らく萌えないで描いただろうアラシヤマが完成度の高いキャラである事から、そんな気がします。

ヒカ碁の佐為もお化けですが、碁を打ちたいだけのお化けで、しかももう生前の辛さは秀策との時間で清められているらしく、怖くありません。佐為が余りに嬉しそうに虎次郎虎次郎言うから、生前は京都人だったと思しき佐為を探しに、何故か広島へ行くヒカル。



■サビの自傷、マジックとの断絶で、頭が働かなくなっただろうルーザー様ですが。元来周囲を美化する人だったのかなと思います。家にいない父親、心を開かない兄弟に対して、わざわざ彼等にぶつかって気まずくなるより、静かに自分のいい様に解釈した方が穏やかかもしれません。

でもそんな安心の方法は、未知の青年である高松、もっと未知の存在であるキンちゃんには通用しません。高松とキンちゃんに大事なのは、これからのルーザー様であって、美化されたライオンパパや御兄弟の素晴らしさは、平時なら兎も角、緊急時には作用しません。



ライオンパパの思い出を探しに激戦区へ行ってしまったルーザー様を責める事は可能です。ですがルーザー様は本能的に、美化しまくった父・兄弟と、新鮮だった高松&キンちゃんの区別をしたのだろうと思います。マジックを美化して崇めるのは、マジックが実際強大だからできる事です。サビ、ハレも生活から次兄が欠けても大丈夫でしょう。

自分がいないと駄目なのは高松とキンタローであると、ルーザー様は知っていたのだろうと思います。美化と言う趣味的な行為が向かないくらい、高松とキンちゃんが生々しくて愛しかったのかなと思います。




■不幸になる考え方と言うのがあるそうです。物事に前向きなら前向きな結果が出やすく、不幸になるかもと思うと思考も行動もそっちに流れていくという事らしいです。

漫画で分かる心療内科からの内容なので、正しい説だと思いますが、漫画を読んでしばらくしてから思い出すと、ゾッとします。明るく可愛いタッチの漫画なので、読んでいる時は楽しく勉強できた気になりますが、内容はコアな気がします。

自分も思いあたる節が多いですが、二次元ながら高松で言うと。


■ルーザー様が好き→
告白なんかしたらふられるかも、もう側に置いてくれないかも、じっと見ているだけにしようかと後ろ向き。

結果、ルザ高になると思うけれど、ルーザー様の死で強制終了される恋なので、告白してもしなくても高松に残った爪痕は大きそう。


■キンちゃんが目覚めた→
こんな四十路の嫌われ者の余所のおじさんが側にいては、キンタロー様のマイナスになるだろう。キンタロー様の幸せを壊したくない、仕事が終わったらお別れしようと、またまたすねる。

自然体でいれば高松はもっと幸せになったかと言うと、そうも思いません。幸い彼が好きになる男の人は皆強引な方なので、彼等が高松をどうにかするでしょう。好きな人の幸せを考えられる高松なら、相手と築いた幸せを守る事も出来ると思います。

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