以下は妄想考察です。 少女漫画の最終回の奥の手として。
■彼氏とプラトニックな意味でのお付き合いが始まる ■大人になった自分と彼氏の結婚式 ■大人になった自分と彼氏の楽しい新居
等の描写があります。片思いが両想いになったくらいが少女漫画は一番面白く読める気がしますが、長期連載の場合は、ヒロインがウェディングドレスを着る展開にしないと、ピュアな幼年読者が納得しないと昔は言われたそうです。今もそうでしょうか。
少女が心身共に成長して少女で無くなった時、彼女が登場していた少女漫画は使命が果たせたと言えるのではと思います。
異性とちゃんとお付き合いしようと言うお嬢さんを少女と呼んでは違う気がしますし、劇中でヒロインが新婦になるのなら、もう彼女の悩みや気持ちは少女時代のものではないでしょう。なので、上記のテンプレ最終回はありだと思います。
■ただの妄想考察なのですが、男同士で少女漫画っぽい事をした場合、オチが難しくならないかと思います。
中学生の頃読んだブロンズは、常人離れした才能のある2人の青年の恋物語で、普通に思いを確かめ合うとか、卒業・就職すると言う平凡な夢は彼等の夢になり得なかったようです。恋の障害として怪我や病気、家族間のトラブルがあり、何が何でも好きな人を得る事に全生命力を向けるので、ファンタジーと言うより冒険譚でした。
キャラはプロになるくらいサッカーに打ち込み、又は歌手の才能があるのに、作品の価値観が仕事や世間より恋にあるので、建設的な感じがしないのかもしれません。少女漫画定番のゆるいお話も悪くなかったのだと、ふと思いました。
高松の場合、恋愛脳で初恋の人を永年忘れないけれど、働かないと片思いも出来ない、キンちゃんと出会っても、まずはキンちゃんを立派にせねばルーザー様への恩返しにならないと、恋する暇のない人に思えます。隠居中は暇に任せて、訪ねて来るキンちゃんと遊べたでしょうか。
■昔話をします。多分、南国テレビアニメの放映が終了した頃の事だったと思います。まだネットも携帯電話ありませんでした。
学校で尾崎南のコミックスを回し読んでいました。放課後に漫画好きの間で貸し借りし合った漫画の中に、尾崎南があったと思います。女性漫画家の作品である事から、自分は警戒心を抱かなかったのかもしれません。
当時楽しんだ漫画がリメイクされる昨今、尾崎南について思うと、多分変わっていないのだろうなと思います。無理に変わる必要はないと思いますが、未完のブロンズは完結してから休止とかにして欲しかったと思いました。
当時、どう読んでも絶愛とブロンズの物語の全容や展開が分からなかったのは読んでいる自分が幼かったと言うより、雰囲気を楽しむ作品であったからとも言えそうです。サッカーのプロを目指す青年と、名家の生まれで才能豊かな売れっ子アイドルの青年の恋がどう落着するのか、それだけでも置いて行って欲しかったかも。 |
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