■今週末からスパークの原稿をします。小説が27項程書いてあるので、後20項くらい漫画を描きます。小説で、「高松はキャンパスへ講義に出かけたルーザーを迎えに、幼いキンタローの手を取って校門をくぐった」と書いたとしても、絵が追い付かなくて歯がゆいです。
好きでやっている事なので、気張らず行こうかと思います。もし興味のある方は、スパーク、冬コミ、一月インテックス等でお手に取って頂けると幸せです。タイトルの候補は「1+1=1」です。一足す一は一、ルーザー様と高松、キンちゃんという本編ですれ違い続ける人達が一つになった本、という意味合いです。
■今夏は駆け足の大阪一泊で帰って来ましたが、冬は観光もしたいです。滋賀に宿を取って、翌日京都に電車で行き、琵琶湖の景観を見て、その後母校散策を考えています。母校と言ってもただの学部卒です。
京都の梅小路公園、大阪の咲くやこの花館にも行ってみたいです。梅小路公園は蒸気機関車で有名ですが、まだ行った事がありません。近日リニューアル予定だそうです。オープンは来年の春との事なので、一月インテには間に合わないかもしれません。
咲くやこの花館も、唐突に今夏のインテ時に存在を知りました。今回何とかすれば行けるかなと思いましたが、インテと鶴見緑地駅の遠さに断念しました。
■先日の続きです。昔好きだった少女漫画家さんが局所にこだわる様なので、考えていました。誹謗中傷の意図はありません。
局所と言うと、ジャンかロッドを思い出しますが。ロッドは色物枠という素晴らしい立ち位置だとして。ジャンの場合、顔がシンタローと同じで若いというだけで、秘石の番人、サビの彼氏と設定が盛られても、唐突な展開についていけなかった読者もあったと思います。そこでの局所こだわりなら、インパクトとして有効だったのかなとふと思いました。
局所にこだわる事については、いいとも悪いとも思いません。到達するだろう所が局所なら、色々省いて最終案にだけこだわるのもルートなんでしょうか。ただ源氏ではあれだけ異性関係だらけの物語なのに、滅多な事では具体的な描写が無いなと思い出しました。
浅き夢みしになると、ベッドシーンばかりなので読みにくいですが谷崎源氏ではぼかしていたなと思いました。従姉妹や義母、親類の女性や友人の妻を求める源氏の姿は昼ドラですが、源氏の本文自体は季節の描写や和歌で埋め尽くされています。谷崎訳は逐語訳なので、特に描写は加味していません。与謝野晶子や瀬戸内寂聴のものは違うのでしょうか。
谷崎の場合、情事そのものよりも、女性の足が好きな人なので別枠でしょうか。刺青から瘋癲老人日記にいたるまで、女性の足を愛さない作品が無く、美しい足を語り、理想の足に出会うまでに何百項でも費やす作家は谷崎の外にいないと思います。
谷崎の足フェチと、昔好きだった少女漫画家さん、及び南国&PAPUWAの原作者の局部好きを単純に比べる事は出来ませんが。愛好するものに対する労力を思うと、どうしても谷崎に軍配が挙がります。 |
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