madeingermany

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...... 2015年09月08日 の日記 ......
■ 金持ち   [ NO. 2015090801-1 ]
■キンちゃんが何故、ルーザー様の生まれ変わりみたいな立ち位置を受け入れてるのかと思うと。不愉快じゃないからでしょうか。有能さはそのままに、お気遣い出来る紳士のルーザー様=キンちゃんというと大袈裟ですが、そう思われてもキンちゃんは痛痒を感じない気がします。父の死を目の前にして、自分は父親に生かしてもらっているのだとキンちゃんが思ったのなら、そうなのかなと思います。

自分が父に肯定的だと、高松が大喜びするのも一因でしょうか。俺は俺だと言い張るのは子供っぽいというか、暴力で自分の存在を周囲に認めさせようともがいた経験はキンちゃんを大人にしたと思います。ルーザー様の全ては貴方の栄養になるのだと高松が言えば、キンちゃんは納得したろうと思います。

父親が健在のシンタロー、グンマ、コタと、キンちゃんは少しだけ違うのかなと思います。従兄弟達は父親との思い出が今からでも作れるけれど、キンちゃんは母親(※高松)と思い出を分かち合うしかないのだから。お母さん(※くどいけどドクター高松)が健在なのはキンちゃんの強みかなと思います。



■夏コミに出した本のせいでもないですが、ジャイアントロボの父子関係について考えていました。フォーグラー博士はエマニエルとファルメールを愛していたけれど、彼らしい人類愛の中に子供への愛が含まれてて。彼の愛は対象が大き過ぎます。

恐ろしいのは草間博士と大作の関係です。大作の声にしかロボは反応しません。博士の功績も罪も理解出来ない大作はロボを預かるどころか、操縦して戦わないとならなくなりました。

草間博士は無茶ぶりも無茶ぶりです。ロボは無茶を乗り越える少年の話ではないし、結局ロボは国警の武器の一つという立ち位置です。父と子というテーマのお話なのに、ロボの存在が危険・巨大過ぎて、無力感が漂います。無力だから亡父を心の支えにする、亡父を心の支えにするからロボに頼る、ロボに頼るから無力感に襲われると、逃げ道が見えません。





■まだクリスティを読んでいます。一冊二冊読んだのでは分かるまいと、意地になっているのかもしれません。数冊読んで分かった気になるのも悔しいので。漱石なら書簡集、論文集を除けば一気に読んでもそんな量ではなかったと思います。

谷崎を読もうと思い立ち、慣れ親しんだ細雪と全く違うテンションの本を20冊くらい一気に読んだ時。不思議と読んでいるうちに、お艶殺し辺りから瘋癲老人日記頃まで、並べてみると面白いと気が付きました。

飽き性らしい谷崎の、江戸な和物大好き時代、横浜での西洋偏向時代、京阪神大好きな頃、そして熱海、湯河原、東京へと東への帰還という一大巨編の人生、戦争があったのが信じられないくらい豊かな人生だったのが、最高に面白かったです。谷崎は疎開先でも、荷風が驚くくらい豊かな暮らしだったらしいです。



クリスティも、どんなに多作でも作品を順番に並べた比較表や、キャラクターや作品性の考察もあるわけで。読んでも読んでも金持ちの男と有閑夫人に出会う困惑くらい、なんであろうと思います。

庶民しか来ない様なパリの狭い居酒屋や、早朝の眠たそうなセーヌ川の香りは想像出来るのに、英国の瀟洒な田舎のホテルや住まいは全く未知です。ミスマープルの編み物は完全なる趣味であって、彼女が手ずから家事はしないだろうし、群馬の田舎者に金持ちの暮らしは分かりません。

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