■冬コミの原稿を、今月中に始めようと思います。高松のキンちゃんの教育への悩み、研修時代のキンちゃん外、妄想のストックはあります。
最近思ったのですが。高松のキンちゃんへの役目って勉学と仕事を除けば、マジック達家族が面倒みられるのかなと思いました。マジックやハレ、又はルーザー様を知らないシンタローやグンマに接すれば、キンちゃんは別人の様な子になったと思います。
本人が高松に世話してもらいたいと思わない限り、又本人が亡父について肯定的な話が聞きたいと願わない限り、キンちゃんについて高松の出番はありません。彼は父と高松を求めてくれたんだなあと思いました。キンちゃんは白黒つけたい方の子だと思うので、そういう事かなと妄想しました。
■図書館で昭和元禄落語心中を読みました。1〜3巻が貸出中だったので、4〜7巻を読みました。1巻を少しだけ読んで面白かったので、今度来たとき最後まで読もうと思っていたら貸出されていました。
ネットの広告で昭和元禄落語心中をチラッとみて、面白そうだったので覚えていました。助六と八雲の関係に興味があったのですが、広告だけでは分からないと手をこまねいていました。図書館にあると分かり、案じた様な過激さはないと知り、やっと手が出ました。
若い頃も高齢の時も、八雲の色気が半端ないです。二次創作する余地がないと感じるくらい、完璧なキャラに出会うのは喜びです。次に上京したら、新宿の末広亭に行こうかなと思いました。
落語は小学生の頃好きだったので、ネタはいくつかなら聞いた事があります。大学に落語研究会があり、発表会があれば大体聞きに行きました。
■卍について思い出していました。先日読み終えた本が春にして君を離れでして、劇中の「私は悪くない」という女性の主張がすさまじく、こんな自己弁護の激しい小説と言えば谷崎だと思い出しました。
谷崎も主人公や女主人公のきらびやかな生活を書き、後で少しだけ陰惨な面を出す、というのを好んでいた気がします。瘋癲老人日記も、周囲から見た颯子はとても主人公が思う様な女性でなかったようです。
卍の場合、結句何が起きたかと言うと、既婚者の柿崎が光子にのめり込み、妻の園子を捨てて彼女と心中に至ったという事です。園子や綿貫は賑やかしだったのではと思います。
でも既婚者の柿崎が正体もなく光子に入れ込んだ事を前向きに書くのは出来なかったらしく、光子観音だの、三人で心中だの非現実的な騒ぎに終始していた気がします。自分は悪くない、光子と友達になった妻が悪い、と最後まで柿崎氏は自己弁護していた気がします。
春琴抄、痴人の愛でも、高飛車な美女と控えめな男と言う谷崎趣味の一端でありながら、根底には彼女達への独占欲がにじみ出ている気がします。そういう男と結ばれてしまったがために、春琴やナオミは、彼等の望む悪女を演じるのかもしれません。
自己弁護が悪い事だとは思いません。ありのままの自分なんてさらけ出したら、世界中で争いが絶えないでしょう。春にして君を離れの場合、ジョーンが自己弁護するしないと言うより、もう夫も子供の彼女の謝罪を欲していないのがきついなと思いました。 |
|