madeingermany

[PREV] [NEXT]
...... 2015年10月12日 の日記 ......
■ オチ   [ NO. 2015101201-1 ]
■自分の代わりはいるのかと自問すると、あると思います。駅について電車から降りれば、自分の座ってた席に違う人が腰かけます。全てを電車で例えてはいけませんが、貴方じゃなきゃ駄目、と言う瞬間はそんなにないんじゃないかなと思います。逆に電車に対しては「この時間この場所に走っていてくれてありがとう」と自分は思います。

すごい小説を書いた人とかは別でしょうか。家族関係でも子供が独り立ちしたり、高齢者が亡くなったりすれば、家庭の構成員は自然と変わります。職場でも多少重宝に思ってもらったとしても、だからずっと同じ仕事をさせてもらえるとはならないでしょう。



ルーザー様と一緒にいる時の高松は、ずっとこんな事を考えていたのではないかと思います。有能な青年は高松以外にもいる訳で、仮に今はいなくても、ルーザー様は新人をあっさり発見するかもしれません。

ましてやルーザー様には守るべき兄と弟がいて、なけなしの思いやりはほとんど彼等のものです。高松にはルーザー様しかいないのにと思います。嬰児交換に乗ってしまったのは、そんな事が起因かもしれません。

マジックが可愛がっているのは、自分の子供ではありません。代替である事に気が付かないで愛するなんて愚かだと、高松は嘲笑したかったのかもしれません。皆、自分と同じで、交代員も予備も代替もある寂しいシロモノなのだと思いたかったのかも。



嘲笑したい高松を嘲笑したい訳ではなくとも、マジックはシンタローを愛しました。高松が嬰児交換を自白するチャンスを失ったのはこの辺からかもしれません。グンマも高松を頼って成長する訳で、自分など碁石の様に代わりがいるのだとすねていた高松を少し変えたのかもしれません。

キンちゃんも、伯父、叔父2人と従兄弟がいても、高松を欲してくれたかなと思います。誰も父親の事を思い出そうとしなくとも、高松の胸の中には昨日の事の様に飾られているのを、キンちゃんは嬉しく思ってくれたらいいなと思います。

(高松を長らく癒したグンマは皮肉な事に、キンちゃんの代替物だった。本物のキンちゃんが登場した時、高松は体裁よくグンマを捨てている。高松にとって本物はルーザー様、そしてキンちゃんである。

自分は碁石とかすねるのを止められたのは、高松自身のキンちゃんへの愛情故では。キンちゃんに出会った時の高松は、珍しく「自分にしか出来ない事」に向かっていた。グンマには恐怖で過保護が止められなかったのに、キンちゃんとは遠恋できる信条があるらしい。)




■南国&PAPUWAは、パプワとくり子ちゃんの婚礼がいわゆる素敵な典型だったのかもしれません。主人公のパプワ、南国少年のパプワが人の親になった、それ以上のいいオチはなかったと思います。

少年が青年になり、婚約者と再会して家族になるまでを原作者に描いてほしいとは思いません。多分、いままでの様な力技で描かれると思うので、想像の余地として遊ばせておきたいです。

パプワ、くり子ちゃんのハッピーエンド以外は。心戦組が相変わらずとかそういうのはいいのですが、結局、シンタローはどうなったんだろうなと思います。

無垢なパプワ&くり子ちゃんカップルは自然にハッピーエンドだとして、あまりに複雑になったシンタローの周囲を、もし原作者が目から鱗な感じでまとめ上げていたら、南国&PAPUWAは伝説になっただろうなと思います。

...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: