■人は自分がされたようにしか相手に出来ないと聞いた事があります。自分は周囲に親切にしてもらったり、優しくしてもらっているのに、別の誰かに同じ事をしようと思っても余り上手く行きません。自分より機敏で賢明な人に何かしてあげようなんて不遜だとある時思いました。
以下は妄想です。
マジックといえばシンタローへの溺愛です。自分は高松周辺を主に原稿で描くので、
・お父様がシンちゃんばかり溺愛していて途方にくれる長男グンマ、そんなグンマにどう接したらいいか分からないキンちゃん、そんなグンマとキンちゃんに自分の愛は有効なのか本気で悩む高松医師
と逸脱しマジックとシンタローをメインで動かす事が少ないです。ですが今日はマジックとシンタローについて考えます。
マジックの知る愛は、
・今ここにいないライオンパパの神の様な愛情 ・何故だか自発的に側にいる束縛大好きなミツヤの愛 ・望んでもいないのに勝手に生まれて、兄だからって面倒みさせられているルーザー様からの愛情 ・ひたすら可愛いハレ&サビとの愛情
でしょうか。基本的に束縛するかされるかがマジックの知る愛なので、自由人のジャンは目新しい愛情の対象だったかもしれません。自由に手の平の上で鳴くカナリアを、マジックは見つけたのでしょう。手に入らないなら殺すというのは、小鳥の幸せを無視した束縛の愛なので彼の素に思えます。
マジックの辞書には溺愛という文字は実はないと思います。子供だから愛するというのなら、グンマとコタローへの態度の説明がつきません。恐らく犬の様だと言われるジャンの代わりに、赤子だったシンタローと完全に父子関係を築き、喜びの余りの溺愛だったのかなと思います。限りなく束縛に近い愛です。
愛しているから束縛する。愛していないから放置する。まことに明快な愛です。シンタローは普通の感情をもっているらしいので、父の束縛を嫌がり家出します。
普通の感覚を持っているシンタローと、束縛しか知らないマジックは面白い対比だと思います。シンタローに、もっと相手を信じるべきだとか諭されるマジックなんていいなと思いますが、そんな事は無くて、南国でもPAPUWAでもシンタローというより、マジックの激しい行動力が物語を動かしています。
シンタローは普通の感覚があるから、パワフルな父には一歩譲るというのではないと思います。2人は似ているから、マジックがシンタローへの愛を炸裂させている以上シンタローが何かする事はありません。
普通の感情を持つはずのシンタローがコタに与えた言葉は、「何も見るな」(俺だけ見ていろ?)でした。コタが不安なのは閉じ込められて周囲が見えないから、父親や他の大人達の思う事が分からないから不安なのであって、目を閉じてシンタローという全然分からない男の事ばかり考えさせられたら、パニックは止まないと思います。
自分はシンタローの普通さを信じたいですが、コタローとの関係を思うと、やはり彼は父と瓜二つだと思います。コタローが籠の鳥である事を、願わないではないのでしょう。そこを我慢して、兄として何かしてあげようと奮闘するシンタローが見たかったです。
キンちゃんが高松に指示書を書いてもらい、親戚というよりスタッフの気持ちで接するのがいいのかなあと思いました。親兄弟からの圧迫はしんどいと思うので。
ハレはそういう意味では美味しい立ち位置で、ある点で万能なキャラだったと思いました。下ネタや笑えないギャグでハレを酷使するより、余程観点があったのではとも。小児科のスペシャリストでもあるらしい高松を友人として招くとか。高松の招聘はマジックがするでしょうか。 |
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