■地元の温泉に行こうと、暗い道を運転していました。町内を運転するのに一人が怖いとは言えないので普通に運転していましたが、余り運転しない道なのと、周囲に店や民家が少ない事で少し怖くなりました。
有難い事に、温泉街に添うように電車が走っています。温泉が終点という訳でなく、県外まで路線があります。本数は少ないのですが、幸い、通った時駅舎に灯りがついていました。無人駅なので夜半立ち寄る場所ではないのですが、駅がある、線路があるというだけで安心しました。
青春鉄道にも出て来る路線なので、暗い車中でその路線の通称名を呼び、温泉へハンドルを切りました。周囲に人がいてもいなくても、例えば上野駅の雑踏でも電車を見ると安心します。上越新幹線に乗ると、嫌な事を忘れます。自分の趣味は電車と温泉と読書です。
南国後、すねきった高松が向かったのは、マジックが出来心で買った日本の温泉ホテルを改築した、ガンマ団保養所兼療養所ではないかと思っております。
外、補佐官キンちゃんを補佐するために裏方に回ったとか妄想は尽きないです。講演旅行とか、執筆、諸々の依頼をこなしていたとか。ガンマ団の裏も表も知り尽くした高松に自由はないと思いますが。
サビなら優雅にホテル暮らしもあり得ますが、高松の場合やっぱりすねていても働いていたんだろうなと思います。キンちゃんも不労所得で暮らせそうですが、遺伝的に出来ないでしょう。
■ジェーン・オースティンの分別と多感を読み終えました。後はエマ、マンスフィールドパークを読むと、一巡した事になります。また数年後に何週目かのオースティンに出会うのだろうと思います。
オースティンの作品で一番有名なのは高慢と偏見だそうです。ヒロインのエリザベスの明るさと知性、ダーシーからの求愛を一度拒んだ豪胆さは、特筆されるべきものだと思います。コリンズ牧師とエリザベスのやり取りは漫才の様でもありました。
すごいのは、オースティンが別の作品でエリザベスの様な女性を出そうとしなかった事です。ヒロイン達は類型化していなくて、皆別の個性を持つ女性です。後年の説得のアンは物静かな女性ですが、年齢だけでなく、分別と多感のエリナの知性とは別のものです。
アンは傲慢な父や姉に何かアドバイスする機会がなく、エリナは母やマリアン、大佐から絶大な信頼があるというのも違いますが、アンは自分の信念をそれとなく恋人に伝える事が出来たのに、エリナは好きな人を見守る事に徹した事が違いかもしれません。
アンがウェントワースへの愛を自分の宝物にしている事と、エリナがエドワードその人の幸せをひたすら願う事は同じかもしれませんが、やはりアンの達観した愛は後年の産物だと思われます。
エリナ、マリアン、アンにしろ、彼女達の結婚後の姿は書かれません。いつまでもいつまでも幸せに暮らしましたというのがオースティンのお約束です。
ですがベネット夫人やダッシュウッド夫人など既婚女性も劇中に多く出てきますので、恐らく、若々しいヒロイン達もいつか夫を尻に敷き、息子や娘を愛するたくましい婦人になるのだろうと思われます。オースティンのロマンスはあくまで若者のものであり、既婚者のロマンスは範疇でないのだと思います。 |
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