madeingermany

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...... 2015年10月21日 の日記 ......
■ パーク   [ NO. 2015102101-1 ]
■まだオースティンを読んでいます。次はエマか、マンスフィールドパークだと思います。マンスフィールドパークはヒロインが大活躍という風ではなく、周囲のライトな悪漢、悪女達が魅力的です。オースティンはヒロインを書くのにも熱心ですが、悪漢・悪女を書く時も熱中していたのだろうと思います。筆が縦横無尽です。




■南国&PAPUWAのいい所は、「語り」に入らない所かなと思いました。自分の観賞方法に自信はありませんが、自分語りをする作風ではないのだろうと思います。

あくまで漫画はキャラ中心で、原作者の好きなキャラの周囲のキャラがトシゾーの様に、当初は冷徹で分別のある武士だったのに、何故か多弁で無暗に攻撃的になるという珍現象が起きますが。ハレも登場時は正統派成人男性と匂わせて置いて、徐々に軽い方向に変貌してしまった珍現象が起きました。



ともあれマジックについても、マジックを語ろうとすると、ミツヤというストーカー&無情の弟ルーザーに絡まれ続けたかわいそうな自分の話になっていました。マジックが主体的になる話にはなっていません。

何故なら、原作者にとって至高なのは至れり尽くせり、周囲に完璧に理解され、魅力に引き寄せられた男性ファン達に、仕方なくまつられる状態なので、どのお気に入りキャラも最終的にそうなります。シンタローやサビもそうでした。



この傾向の特徴は、結局マンセーされる方より、する方が目立つという点でしょうか。山南の様にマンセーする方がキラキラしていて、結局マジックの本質と言うか、普段のマジック、マジックの考えている事等がウヤムヤになって行きます。マジックはもう何も語らないか、既知の事しか言わないでしょう。

アイドルあってのファンクラブが、ファンクラブだけで行動している様な矛盾が生じます。そうなるとアイドルの影が薄くなり、マジックは何を考えているのか?という本筋は読者が想像しないとならなくなります。そんな自由を残して置いてくれた事に感謝します。




■ナディアの最終回後らしいイラストを見ると、エレクトラさんが紺色の髪、褐色の肌の少年を連れています。そんな男の子劇中にいたかなと思いますが、エレクトラさんが下腹を触った時、中にいた子という事でしょう。

子供の頃見た時は、アニメを毎週見ると言う習慣がなかったので、ただでさえ話が難しいナディアについて考える事はなかったです。

エレクトラとネモだと年齢差がかなりあるのですが、子供の頃見ればエレクトラは十分大人の女性に見えますし、大人になってから見れば、年齢差カップルが素敵に思えます。えっ?と思った事は今も昔もないです。



普通のSFアニメ、時にギャグアニメとして見てもナディアは面白いです。エレクトラとネモの描写も、過酷な歳月を過ごしてきた人達の話と思えば、趣味に走ったとか、いい加減だとかは思いません。

漫画やアニメの「実はこうだったんです」的な話は、本編がキッチリしていれば、ショックを受けたりしないもんだなと思います。南国の場合、シンタローやコタが置いてきぼりになってもサビマンセーが収まらなかった時、最早原作者に「実は〜」を隠す気はなかったのだと思いました。

ですが「実はこうだったんです」という弁舌にも、多弁になるタイプの作家ではないと思うので、後々「こういう事を言いたかったのかなあ」と思い返しながら、南国&PAPUWAの迷走を見守るのがいいのかなと思いました。

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