madeingermany

[PREV] [NEXT]
...... 2015年11月03日 の日記 ......
■ 落語   [ NO. 2015110301-1 ]
■以下は、ルーザー様が生きていればという妄想です。

ルーザー様は小さいキンちゃんに対し、マジックを指して「おじさん」と言えない気がします。常に「兄さん」でしょう。ルーザー様はそういうのしないだろうなと思いました。マジックを客観的に見る事が出来るなら、もうルーザー様ではない気すらします。

キンちゃんはマジックを兄さん兄さん呼ぶ父の言葉を頭の中で変換し、「伯父様」「伯父上」という単語を導かないといけません。そこは高松の手伝いがあるので、「お父様のお兄さんは俺のおじ」という知識が早いうちに耳に入るでしょう。



高松の事は、息子と2人だけの時は母さんでいいと思います。本人にそういう事を言うと、全力で否定する上にすねて家を飛び出すから。

高松自身の考えで言うと、家族でも女性でもない自分がお2人の側に置いてもらえるのは、あくまで労働力としてであり、家族のふりをするなど恥を知らない行為だという主張があるのでは。その癖適度に大事にされないと、悲観して家出しかねない繊細さ。

高松のわがままは単純に相手に何かさせるとか、何かを奪うとかでなくて、「私をこう思って欲しい」が前面に出る面倒くさいものかなと思います。本編でもキンちゃんが師弟関係、主従関係を乗り越えようとすると、本気で怒りそうです。かつ、本人が寂しがらない程度にかまわないとなりません。その要領を一番知っているのは、最も雇用関係が長いマジックかもしれません。



■図書館で借りた三代目春団治の落語を聞いています。くどいですが細雪の幸子の父の法事で呼んだと言う春団治は初代でしょうか。二代目春団治の襲名が昭和9年、幸子の父の三回忌が昭和2年頃の事なので初代かなと思います。細雪は創作ですけれども。

芸人を贔屓にしていたという幸子の父を慕い、三回忌には多くの俳優や芸妓が来たと細雪にあります。今でも芸人にパトロンと言うのがあるのか分かりませんが、幸子の父はそうだったとされています。父の立てた尼寺、父の贔屓にしていた芸者さんなど、細雪にはいくらでも出てきます。

面白いのは、谷崎自身に最も立場が近いと思われる貞之助のプライベートが余り書かれない事です。関東大震災を経験した事、崖っぷちに立つ家を敬遠する事など、谷崎かなという部分が貞之助にありますが、娘の悦子を銃後の婦人にせねばならないといきり立つあたりは、創作らしいと思います。




落語と言えば漱石が好み、荷風などは自身も寄席で演じたらしいです。漱石の初期の文章を思うと、落語的にまとめようとしている部分があります。漱石の扱うテーマなんて、到底落語らしからない複雑で暗いものなのに、アンバランスさが漱石だなと思います。

荷風も、一時は三味線に凝ったりと芸事で生きようとしていた時期があったようです。しかし音痴だという噂があり、向いていなかったようです。荷風の依怙地な性格が芸能として昇華されていたら、また違う荷風が見られたでしょう。

谷崎は最初から売文家だった気がします。美食、美しい服が好きで、なんやかやエキゾチックなものに関心を持ったり、若い女性を側に置いたりと元気な方ですが、本業の売文を貫いた所が谷崎だと思います。

漱石は明暗を書きながら、内容が重苦しいからその日の分が書けたら唄や漢詩に親しんでいたと聞きます。奥さんとのゴタゴタが元ネタなのだから、書いていれば再度気持ちの上で体験する訳で、苦しいでしょう。谷崎はそういうのではなくて、書く文章自体が楽しき異世界なんだなと思います。

...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: