■漱石雑感です。落語を生で聞いたくらいで漱石気分と言い出しそうな、底の浅い芸術鑑賞をしています。
自分のキン高のモデルが、坊ちゃんと清なので、漱石を手近に読んでいない時でも、何となしに漱石の雰囲気を想像しています。普通の男女が余り登場しない世界なので、南国&PAPUWAとの相性は悪くないかなと思います。
坊ちゃんの生母は清ではないのかと言う憶測もしてしまいますが、漱石は明言していません。生母と義母に挟まれて育った漱石には、清の愛を母性だと一刀両断する気が無かったのでしょう。清を単なる忠実な家来という人もあるので、坊ちゃんは清の息子ですと言ってしまってもよかった気がします。坊ちゃんの家での浮きぶり、父母兄との仲の悪さがパッと説明できますし。
何故、漱石の思う「永遠の女性」的な人は、既婚者だったり、他界していたりするのかなと思いました。清も明治維新の前は結構な家の人だったそうで、色々な不幸を経験して、坊ちゃんの家に来たそうです。坊ちゃんに寄り添うように清は半生を生き、坊ちゃんの家の寺に入れてもらう事で小説は終わりを迎えます。
四国でも坊ちゃんは東京にいる清を始終気にします。清は字が達者でなくても手紙を書いています。坊ちゃんが余りに手紙を待っているから、下宿先のおかみさんが坊ちゃんは奥さんからの手紙を待っているのだと勘違いするくらいです。
清をして、漱石が好きだった女性は人妻だった、自分と結ばれ得ない女性で、早くに亡くなった女性だったという傍証だと言い切るのは早計かもしれません。四国から帰って来て、真っ直ぐに清の所へ行って、清と家を持つんだと宣言する坊ちゃんに、色恋の感情は薄いと思います。
女性への関心を色恋、色欲と離して考えてしまいがちなのは漱石の悪い所だと思います。草枕の那美さん、三四郎のよし子、美禰子、彼岸過迄の千代子、こころの静とか。プラトニックというより、好きな女性に母親や義姉を重ねるから、手が出せないのでしょう。
荷風も落語家としてわずかながら寄席に出たそうです。あの荷風ちゃんと落語家としてやっていけたのか、想像がつきません。若い芸人として寝坊や自堕落が許されたのか、荷風だから直しようがないのか。いずれにせよ、荷風を寄席から連れ戻した親御さんが正しかったと思います。
渡航させれば現地の女性と付き合い、帰ってくれば発禁本を書き。財産を分ければ弟と争い、弟の肩を持った母親とも仲違いと、荷風の人生はしたい放題の様です。荷風程見識のある人が何故と思いますが、荷風の抱く見識と、当時の日本の常識が余りに隔絶していたとも言えそうです。
もし荷風が芸人として身を立てていたら、今に残る文筆はなかったでしょう。荷風が音痴だった事に感謝するばかりです。 |
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