■アニメや漫画を好きになるという事は、好きなキャラを人質にされているようなものだと、どなたかが言っていました。自己投影したいくらい「いい子だな」と思えたキャラが、次回の放映・掲載でえらい扱いを受けるなんて夢にも思わないはずですが、何となしにその気配を感じる事も稀にあります。
だから二次創作と言う救いがあるのかなと思いました。「版権」である以上、「こんな子いいな」と思っても彼が商品である事は忘れ得ませんが。
■漱石作品と言うとテーマの一つが「孤独」ですが。意外と津田が向かうだろう孤独が悲惨そうです。津田は劇中ずっと「周囲をバカにしている」「無駄使いが多い」「キザ」と言われ続けているので、漱石はこころや門とは違う孤独を書こうとしたのかもしれません。お延は女性だけに自力で回復するかもしれませんが、津田の破滅は文字通り心身に来そうです。以下、書き出してみます。
■猫 三毛子を失い、死を自分のせいにされる吾輩 ■草枕 画工は孤高の芸術家 恋はしない ■坊ちゃん 清と死に別れる坊ちゃん ■虞美人草 糸子、小夜子の苦しみは始まったばかり
■三四郎 三四郎は郷里とも女性とも学問とも疎遠 ■それから 三千代は死ぬのだろうと思う ■門 不倫の果てに得たお米も「他人」だった
■彼岸過迄 須永は千代子を置いて旅立ってしまった ■行人 一郎も二郎も幸せになれそうにない ■こころ 自死の地に旅立つ先生は何故か晴れやか ■道草 大家族なのにしっくりこない男が一人 ■明暗 津田は妻も子も仕事も実家も健康も失いそう
・PAPUWAを読み直していました。リキッドが飛ばされた過去の世界には興味がありますが、
青の一族の出航→聖なる島が青赤のバランスを失う →パプワの「家族」にあたる赤の一族達の消滅 →パプワだけカムイじいちゃの所へ
とあるので、ほんの10年前の過去の事なのか、青の一族がガンマ団を築くはるか昔の事なのかよく分かりません。夢の中の話なので、時間も地理もないのでしょう。
・PAPUWAの物語の停滞と混乱を、リキッド一人のせいにするのは簡単です。ですが主人公である?パプワに密着して暮らすのがリキッドだから、まどろっこしいながらPAPUWA14冊が成立したのであって、もしパプワの側にいるのがジャンだったらと思うと戦慄を覚えます。
ジャンはルーザー様に殺された後、肉体の復活に時間がかかるとされ、島にいた様です。パプワが熱で苦しんで死にそうな時にも、島にいたのでしょう。少なくともカムイが島にいた時には既にジャンもいました。
パプワが死にそうな時、ジャンは島にいただけです。パプワが倒れて面会謝絶と言うニュースは島中に流れたでしょうが、ジャンは来ませんでした。不老不死のジャンにはパプワの病気の苦しさが想像出来ないのでは。
ジャンと言う男の登場自体が、原作者の思い付きだったのでしょう。折角アニメや漫画でここまで築いてきた牧歌的な島の雰囲気を原作者自らが台無しにする顛末。高松も嘘をつきましたが、あのカムイじいちゃまでパプワに「島に人間はいない」と嘘をついていたと思うと、原作者は常に「取り返しのつかない」事ばかりする様です。
・・・もしジャンがPAPUWAでリキッドの立ち位置だったら。コタローに御飯を作る事は無かったと思います。ガンマ団ともサビがらみでしか付き合わず、心戦組には愛想もくれないでしょう。チャンネル5の様な、荒れ野が目に浮かびます。赤の秘石の番人が、どうであれリキッドだからあのヘッポコな良さが出るのであって、ジャンがあの位置だったら草木一本生えてこない気がします。 |
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