■あと表紙を描けば入稿だと日誌に書いて何回かになります。嘘ではないのですが、恥ずかしくなります。その癖春の本にいれようと思うネタがあるので、入稿後も何か書いているのだと思います。
自分の本同士でネタが被るのも回避したいですが、本の表紙同士で被るのも回避したくて、今まで出した本をひっくり返しました。やはり似た様な構図の表紙の本が、ジャンルは違いますがありました。「ここが違う」「全て同じではない」と自分に言い聞かせますが、回避しきれません。
自分の本同士でネタや表紙が被ると、「もう書かなくていいのでは」と言う自問自答が始まります。ならば、と根本である書いている竹淵の生活面等を無理に変えようとして見た事もありますが、故障が出て来たので止めました。ネタは「自分が必要として無い」場合でない限り、過去の本と被りかけていても、また書いた方が気持ちがいいかもしれません。
■毎日寒いので、誘惑に負けて温泉に行きました。心身の緊張には温泉が効きますが、原稿をしないと時間がない事もあり行かないで置こうと毎週思っていました。いよいよ体の固さがガタガタ言って来たので、温泉に飛び込みました。気持ちよかったです。
欲を言うと一泊して、温まった体で美味しい物を食べて眠りたいのですが、今回は日帰りです。いい温泉程山の中にあり、春まで雪や寒さのために行かれない場所が多いので、今週がギリギリでした。グンマの山間部の雪は、たまに自衛隊に来てもらうくらい手ごわいです。
■こころについて、先生って思ったより若かった事に気が付きました。大学を卒業して引きこもり生活ですが、先生の自死後、奥さんと私が結婚したのではという推測があるそうです。当時の女性が妊娠、出産する年齢を思うと、奥さんは30歳になっているかいないかくらいだと思います。自ずと先生も40歳いっていないくらいです。
先生と奥さんの口論を思っても、奥さんが我慢の限界に来ていた事が思われ、仮に奥さんが妊娠、出産を望めない年齢になっていたとしたら、そこまでの怒りは発生しなかったでしょう。奥さんが陰でK、先生、私を操っていたという極論は支持しがたいですが、現状をどうにかしたいと思っていただろうなとは思います。
先生曰く、お嬢さん・奥さんの事は愛していて、動物的な思いなどサラサラなく、天使か女神の様に思っているとかいないとか。初恋?の時の描写からすると、お嬢さんの事は気になるけれど、自分から積極的に打って出る気持ちはゼロで、「貴方と一緒になれねば嫌」くらいの熱愛を注がれたら考えてもいいという、高慢な態度でした。
お嬢さんへの恋を自覚し、落ち着きがなくなったり、あれこれ詮索したりしてしまったKは「普通」だったなと思います。漱石の作品と言うと、私や先生、代助、宗助という少数派のタイプの男達が正義扱いされる事が多いですが、彼等に巻き込まれたK、平岡、安井の方がしんどかったろうと思います。
若く美しい不幸な女性に対しては信者の様に優しく接し、同性の男達には自分の動物的な面をさらけ出そうとするなんて、平岡達には寝耳に水でしかありません。Kは自分の体の動きや心理を、あそこまで先生がしつこく読み取ろうとし、記憶にとどめていたなんて知ったら、先生との友情も冷め、一人で生きていたかもしれません。 |
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