■高松は教員の経験がありますが、高松のクラスはバレンタインは禁止の方向でしょうか。刺激的な事に過剰に反応し、教室が文字通り炎上するだろうから、禁止の様な気がします。授業が終わっても、士官学校は全寮制だと思うので、子供達(シンタローの世代)は高松の管理下にある訳で。
ミヤギやシンタローと言う、明るく元気な人気者には、さぞ、高松が見っともない意地悪な大人に見えただろうと思います。えげつない、年の功だっちゃとは、よく言ったものです。
高松が見っともなくない、意地悪なんかじゃないとは自分も言えませんが、人並みに嫌な思いもしてきたろうし、子供世代(くどいですがシンタロー達)の事も大事にしていたろうと思います。
■自分は主に共通語しか話せません。無意識に滲み出る群馬のイントネーションやアクセントはあると思いますが、「群馬弁で話してみて」と言われると困ってしまいます。何故って、群馬弁は尊敬語・丁寧語・謙譲語の段階がないらしいからだ、と昨日思いあたりました。
群馬弁は完全にタメ口前提の言語というか、親が子に話す時、上司が部下に話す時の言語です。関西弁にある「〜してはる」(〜していらっしゃる)等が群馬弁にはどうもありません。優雅さもなければ、商売を円滑にするための丁寧語もなさそうです。
天気のいい日に立場が同等の相手と、農作業しながら大声で話す言語、それが群馬弁なのだろうと思います。初対面の方に群馬弁を話そうにも、不躾極まりなくなって申し訳なくなります。
以下は雑感です。
■鉄の面白さを、世に広めた功労者のお一人は宮脇氏ですが。著作を読んでいて異議ありと思った事が二つあります。鉄の神に異議があるなんて、信者の理解不足だと思って、しばらく電車に乗っていましたが、やはり異議ありと思わざるを得なくなりました。二つとは。
・新幹線に肯定的でない所 ・都心近郊の味気なさをつまらながる所
の二つです。山手線・京浜東北線の超高速運転を思うと、もう宮脇氏の頃の鉄道と今の日本の鉄道は別物だろうと思います。私が知っている鉄道と氏の鉄道もまた、別物同然なのでしょう。
新幹線の方は。北陸新幹線でにぎわう昨今ですが、人を東西に運ぶという使命は尊くとも、速過ぎる・混んでいる・新路線なので馴染が薄い、の3点は避け得ません。
延伸された東北新幹線も、誕生40年の山陽新幹線も、かっこいいですが乗って車窓を楽しむ様には出来ていません。東北新幹線のハイ☆スピードには防音や安全のためにガッチリ壁がありますし、山陽はトンネルを多く走るので真っ暗です。最早旅行でも何でもありません。
例外的に自分がよく乗る上越新幹線は、二階建ての車両が多く、田舎道を疾走しても防音・安全に影響しないのか、車窓が大変広々としています。宮脇氏に言わせれば何の風情もない新幹線、その旅のつまらなさは言うまでもないですが、仕方ないと言うか、便利なので乗ります。肯定否定と言うか、もう体の一部です。
都心近郊の味気なさも。人が徒歩や馬、水運で移動しなくなった時点で、諦めるよりないだろうと思います。インテリの宮脇氏に何を言う事は出来ませんが、氏が愛した鉄道も、はやり昔の人から見れば怪物の様なハイカラだったのではと思います。
高崎以南の「味気無さ」も、群馬人が繁栄のためにそうなったのかなと思います。インテリだったり、お金持ちだったりすれば、スローな生き方や住まいを求めると思いますが、馬車馬の様に働いて得たものが「味気ない」近郊スタイルだったのだから、もう長閑だった昔には戻れないだろうなと思います。
都内も昔は船をバスかタクシーの様にして移動していたと聞きます。安くて時間通りに走る鉄道は交通の大躍進で、結果、個性も特徴も薄らいだ都心近郊と言うものが出来たのでしょう。高崎以南の「味気ない」風景を見ていると、群馬は都心近郊ではなく、本当は都心になりたかったのだろうと思います。 |
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