■高松の選択。生き方や職業、グンマとの付き合い方について、解釈を彼のルーザー様への恋を軸に据えると、分かる気がします。可能な限り高松はルーザー様の側にいようとして、彼が亡くなっても、彼を忘れないでいられる所に、誰の賛意も得られないかもしれないけど、いたのかなと思います。
総帥の弟であるルーザー様に援助される身だった高松は、例え彼が亡くなっても足を洗える身ではなかったと思います。身の安全から言っても、彼の死後マジックに従うのが得策です。
高松が悲痛な思いで、彼の死を見過ごしたマジックの側にいたとしても、マジックにすれば高松は弟の縁者の様なものなので、一族に準じて扱うだろうと思います。高松の嬰児交換が特に責められないのも、彼が一族に準じているからでしょう。
キンちゃんが目を覚ました後は、ためらわずキンちゃんのために生きる高松。一途と言うか、女らしいと言うか。ルーザー様は高松が自慢だったのではと思います。キンちゃんも高松にイラッとしたり、鬱陶しがったりもするでしょうが、彼が大好きでしょう。
■くどいですが、オースティンのマンスフィールドパークについてです。簡単に言うと、シンデレラストーリーです。意地悪な周囲にめげず、真面目に清く生きていたファニーが、真の愛を得るという話です。
面白くないと言われがちなのは、高慢と偏見の様な明るいとしたヒロインでないからでしょう。エマの様なヒロインのズッコケもありません。
マンスフィールドパークの面白い所は、「悪」の描写かなと思います。冒頭から最後までノリス伯母の救えない意地汚さは徹底して書かれていますし、その伯母にチヤホヤされて人生を誤るマライア、マライアの子分の様なジュリアの失敗談に非常に枚数が割かれています。
ファニーは生真面目に生きているので、エドマンドや令夫人との家族愛の描写をのぞけば、余り活躍がありません。
クロフォード兄妹のえげつなさ、脇役なのに意外と重要なミスター・イェイツとか。派手で薄情な人達の空騒ぎの描写が実に面白いです。高慢と偏見でも、面白いのはダーシーとエリザベスの真の愛のやり取りもそうですが、物語を沸かすのは、やはりコリン牧師の求愛コメディーなのではと思います。牧師がいないと、ベネット家とダーシーの周囲をつなぐきっかけが足らず、意外と大事な人です。
オースティンというと、カッチリした英国風少女趣味、ラブコメのイメージかもしれませんが、女史の筆が躍るのは、悪い奴を書く時です。
エマで婚約中のフランクがエマをからかい、エマも満更でない頃。エマを愛するナイトリーは内心烈火の如く、ジェーンは自分の婚約者の痴話騒ぎを目の当たりにして体調を崩します。フランク曰くジェーンとの恋を隠すための芝居だったそうですが、エマはフランクを悪くなく思い、自分の立場の愚かしさに気が付きません。
エマに求愛するナイトリー、ナイトリーと新家庭を築くエマの様子はなおざりなのに、お調子者で大迷惑なフランクの描写には熱心なのが、オースティンなのかなと。説得も、結局アンの姉のエリザベスはあれだけ自尊心が高かったのに、本人の意に反し良縁を得ないままです。 |
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