■ルーザー様とキンちゃんの共通点は、白黒ハッキリさせたがる所かなと思いました。科学者らしい追求心の大元なのかもしれません。シンタローやグンマはグレイである事がそんなに気にならなくても、キンちゃんはカッとなる所が未だにあるんじゃないかなと思います。
そういう性格の場合目の前にグレイに見えるものがあったら、「これはグレイだ」と思うと心に負担が少ないかもしれません。二次創作の様です。高松の存在もいい加減グレイなので、キンちゃんの高松を慕う心が、ある程度まで彼に平静をもたらすのではと思います。
何かに自分の平静を委ねるのは危険かもしれません。ですがそれこそ高松の生き方であって、高松はルーザー様という人に、心の大部分を捧げてしまったのだろうと思います。捧げたと言っても、自分でコントロールできない根幹の部分なので滅多に表面化しないと思いますが。
キンちゃんも困ったり迷ったりした時は「高松に聞こう」と思うでしょう。悪い事じゃなくて、高松なら全力でキンちゃんの事を考えると言う点から、妥当な結果になるだろうと思います。
■南国の原作者は楽しかったろうと思います。何がいつどう楽しかったとは本人しか分からない事ですが、本来なら、胸の内に秘めて置くだろう趣味をオープンにし、公開された内容をお金を払って人が求めたのだから、凡人には体験できないエクスタシーだったろうと思います。
エクスタシー本来の特性から言って、内容はひどく個人的なものである事が普通だろうと思います。自身の高揚を金銭でやり取りされる程磨き上げ、世に送り出すのがプロ作家なら、本当に頭が下がります。南国&PAPUWAの場合かなりいい所まで、そんな奇跡が起き続けていたのだと思われます。
■オースティン雑感です。最後の作品は説得でした。美しく高慢な姉と、傲岸な父と暮らす、いい娘のアンが幸せになる話です。オースティンなので例の如く、幸せになる過程は淡々としているのに、ヒロインの周りの「悪」を書く事に燃えている印象を受けます。
アンは三人姉妹の真ん中です。三女のメアリーは早くに結婚し、次は長女のエリザベスがいい所へ嫁ぐのだろうと、三人の父である准男爵は期待しています。姉妹の順番からそう思っているのではなく、彼はアンに興味がありません。本当に愛しておらず、屋敷を貸し渡して引っ越しする時も、アンの意見を聞く事はありませんでした。
誇り高い姉と父を、オースティンは縦横無尽に笑い、愚かさを暴きます。説得はアンの話ですが、アンの姉と父を指差して笑う方に筆が偏っている気がします。説得だけでなくて、他の小説でも兄が無視され、弟だけ実母から溺愛されるのが普通に起きます。
思えば源氏で、名君と言われる桐壺帝ですら、愛した桐壺更衣の息子である源氏にはあれこれしてやっても朱雀帝には雑です。朧月夜の件で須磨に源氏が流された時も、帝は被害者の朱雀を無視し、徹底的に源氏の味方でした。源氏の場合は母親が違いますが。
21世紀の今、家族内で兄弟姉妹に差別があるのはよろしくないとされます。人類皆平等。日本国憲法にはそうあります。ただし平等に裕福で幸せである訳でなく、「幸せになる機会」が平等なんだよという意味ですが。
オースティンを読んでいるとヒロインよりも、漂う「悪」の描写に惹かれます。ファニーが生家や両親を内心厭っていた様に、どうしても懐けないもの、向こうもこっちも愛のない関係があっても「いい」のだと気が楽になります。 |
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