madeingermany

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...... 2016年01月15日 の日記 ......
■ エクスタシー   [ NO. 2016011501-1 ]
■南国はPAPUWAで青の一族の出生について語られるまでは、マジック、それにルーザー様は既婚者だったと思われます。マジックの奥さんはコタの誕生後に他界したらしいとされていますが、ルーザー様の奥様についてはノータッチです。

女性に興味なさそうなルーザー様が、20代前半で結婚、父親になったとなれば、相当な恋女房だったのではと思います。



立場がないのは高松で。早熟な人を恋した悲劇なのか、早々に失恋です。既婚者の上に同性とは、流石の高松でも難儀でしょう。高松は意外と堅物というか、好きになった人の幸せを喜ぶかもしれません。

まさかのルーザー様の他界も、一番悲しいのは奥方と御子息であって、泣く事すら見っともないと、歯を食いしばる高松青年。でも何故か高松が子息の「グンマ」を預かるので南国は奇々怪々です。PAPUWAでまさかの新設定でも、ルーザー様だけについてなら、むしろ新設定の方がしっくりくる気がします。シンタローにかかりっきりのマジック、若過ぎるハレ・サビに「グンマ」は面倒みられないでしょう。

ルーザー様最愛の人は、兄弟と息子をのぞけば高松であった事を信じるには、皮肉な事に新設定の方がピタッと来ます。キンちゃんは遠慮なく高松を好きでいていいでしょう。



■ツイッターがない昔でも。ネットに書きこむのは、公衆の面前で裸になる様なものだと、聞いた事があります。10年以上前のネットで言われていた事だったと思いますが、今でもあまり大差ない様です。

普通、自分の裸を人に見られるなんて絶対避けたい事だと思います。でも人には何らかの衝動があって、駅前で裸にはならなくとも、それに近い事はしてしまうのだろうなと思います。

人と会話するというのも、そのようなエクスタシーに近いのかもしれません。礼儀正しく振る舞おうとしても、隠せない何かがにじみ出る訳で、常に何かがチラチラ見えているのだろうなと思います。でも会話って人と人がする行為だから、一方的なエクスタシーは禁物でしょう。自分は配分が分からず、後でくよくよする事が多いです。




南国&PAPUWAについて延々考える時、やはり同じなのかなと思います。原作者がおっぴろげた何かは、別に原作者が仕事でした事ではなく、拷問を受けて口にしたものではなく、何故って口にするのが快感だったからなのかなと思います。何がどれくらい快感なのかは人によって違うけれど、原作者のポイントはそこだったのだろうと。

この場合、仕事であるかどうかが大きな境界なのかなと思います。我々読者、視聴者はあくまで出版、放映された者を愛でる立場であって、それ以上の内幕や裏事情を知らなくてもいいのです。知って楽しいという事はあるかもしれませんが、知れば知るほど、自分が楽しんだ原風景と遠ざかるのは否めません。

漱石は女性嫌い、既存の結婚観否定派、細君不要論を劇中で唱えても、実に子沢山です。谷崎は陰翳礼讃を書いても、自分の住んでいた家はモダンで明るくて清潔で贅沢だったそうです。そういう事かなと。

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