■キンちゃんと言えば南国後半の暴れん坊ですが。あれでルーザー様以外に致命傷を負わせていたら、読んでいる方が居たたまれないです。幸いキンちゃんの暴れる目的が「マジックを始めとした周囲に自分を認めさせる」事だったと思うので、「周囲」に死なれては彼も困るのです。
もし順当に、死ななかったルーザー様と(高松と)幼いキンちゃんが暮らしていたら、やっぱりいつか暴走したのかなと思います。真面目な性格なので、人のためになるはずの科学や医学を極めても、暗殺者集団の中でしか発揮出来ないなら、嫌になるでしょう。
ルーザー様に手を上げるまではしなくとも、高松を悲しませる事はいくつかしそうです。高松はある時までは、キンちゃんをルーザー様の息子として遇し、自分にとっても最愛の男の子である事を優先するとしても。
途中でキレていつものドクター高松、ミヤギやトットリという若手から、敵以上に恐れられる姿を見せそうです。そして、「ぐれる」事について、高松の右に出る者はない気がします。溺愛されて守られて裕福に育ったキンちゃんと、(恐らく)裸一貫で四国から来てルーザー様に認められるに至った高松とでは、「底」が異なるのでは。
■先日から続きます。「よい子の悲劇」と言う本を読みました。昔はこんな事なかった、今は豊かで便利でネットなんてものがあるから困ると言う感じでしたが、永井荷風の断腸亭日乗等で語られる「昔」も凄惨でした。
荷風の価値観もあるでしょうが、荷風の本を読むと、どこかで「戦前はよかった」という文章に触れるたびに、あれこれ思い出します。普通に「妾奉公」というものが成立する世界のどこがいいのかと思いますが、荷風の世界ですら「江戸時代はよかった」と荷風が言うので、もうどうしたらいいか分かりません。
荷風の前は漱石、荷風の後は谷崎です。漱石も明治時代というものに苦言を言い募り、谷崎に至っては生まれた東京も日本も嫌いと言ってはばからない作品もあります。よい子も悪い子も、いつの時代にもいるのであって、問題は当世の人が「今」を幸せに感じない事の方でしょう。
そう言えば源氏物語でも「今の時代は駄目、若い子は訳が分からない」と誰か言っていた気がします。確かに引きこもりの薫と、女好きの匂宮のダブルヒーローは末世ですが。薫と匂宮のワガママぶりこそ、源氏のまいた種でした。
■自分は余りぐれた覚えがありません。群馬の山奥で出来る事は限られていますし、図書館から歴史の本を借りて来るのが何よりの楽しみでした。なんであんなに楽しかったのか不思議ですが、受験というお題目で、古代中国の後宮のトンデモ話を読んだり、後漢末期の群雄割拠に胸を躍らすのが好きでした。
今もあの頃と同じくらい楽しめると思いますが、変に年を重ねてしまったので、ちょっと難しいです。
喫煙・飲酒も大人になった今もしません。若い頃、もっと暴走しておけばよかったと思います。学生時代、一回だけ金髪にしてピアスをしたのが唯一の若さの現れだったと思います。髪は伸びて自然に黒色に戻り、ピアスは穴から血が垂れて来たので怖くなって止めました。
大人になったら好きな電車に乗って、好きな所に行こう。自分でお金を稼いで、好きなものを買うのだと、そう思う事だけが、若い自分を支えていました。よく、大人になったら不自由だと言われますが、金も仕事も選挙権もない子供時代の方が、自分は不自由でした。
大学の講義の間にファミマでバイトして、半年頑張って安いノートパソコンを買った時は嬉しかったです。 |
|