■そんなはずはない、と思う事が多いのは実は家庭においていかもしれません。子供同士のイジメでも、親は「うちの子はそんな悪いことしない、言いがかりはやめて」と、殴られた子とそのママに言うかもしれません。上の世代が年を取って困る事が出てきたら、子達は「うちの両親はもっとしっかりしているはず」と言いたくなるだろうと思います。
ずっと自分を愛して守って来てくれたパパが、夢は世界征服のゲームのラスボスみたいな男だったら。やっぱり息子は「俺の親父は少し強引なだけで、積み上げてきたものそのものは悪くないんだ」と思うでしょうか。シンタローですが。
コタとシンタローがしっくりいかなそうな理由は。コタは自分への虐待も含めてマジックに謝って改めて欲しいかもしれないけど、シンタローが現状維持を望んでいるからかなと思います。
マジックの全ては「単なる行き過ぎ」とシンタローは思うかもしれませんが、もうそんな話じゃないのはコタの方が知っていそうです。コタは「みんな僕が悪かった」と思っているみたいで、子供なのに可哀想です。
兄弟間で、シンタローはマジックの宝物として溺愛され、コタは人形同然に閉じ込められ、寝ている日々だったというだけで、シンタローとコタの溝は深すぎると思います。コタがもし「パパにこんなひどい事された」とシンタローに訴えても、シンタローは「何かの間違い」としか思えないかもしれません。
高松は一応「親」のポジションですが、最後の最後でグンマを裏切り、淡い綺麗な夢を大人にならざるを得ないグンマに見せなかったのは、彼なりの置き土産だったのかもしれません。シンタローは理想主義者、グンマは現実主義、コタはプラグマティズムと、見事に別れました。
高松の高松たるところは、南国後半の乱暴者のキンちゃんが、ひどく不満足の状態である事を見抜いた点でしょうか。高松にキンちゃんの殴打や足蹴りを止める力はありませんが、何故キンちゃんが暴行に走るのかは分かったようです。キンちゃんの居場所、家族、生きる意味を高松は探してあげたかったのでしょう。
コタだって、暴れる事そのもに価値を感じているのではなくて、生来の力がコントロール出来なくて困っているとか、自分と話そうとしない父や周囲への苛立ちが抑えきれないとか、訴えはあったろうと思います。マジックもシンタローも、「コタを取り押さえて黙らせる」事に熱心だった気がします。
■納得するまで書こうと思います。先に読んだ本で、「日本は島国だから、人間関係も思考も価値観も固定化していて、日本人はその中で妥協していくスキルを古来から身につけた」というニュアンスの文がありました。細部間違っていたらすみません。
確かに日本は列島ですが。まず最初に日本が鎖国に近かったのは、お隣の中国が唐代末期を迎え、遣唐使を送るのが困難になった時代です。縄文、弥生時代ですら、海も山も越えて人は行き来しました。平安末期の混乱後は、室町時代に足利義満が明と交流をしています。
その後の戦国時代もあちこちの大名が、大陸や半島と交易をしていましたし、忍たまの時代の硬貨は中国製です。また日本の各地に、いわゆる大和民族以外の人達も幅広く暮らしていたはずです。沖縄では琉球王国が栄えていた頃です。
その後徳川家康が、スペイン・ポルトガルとの交易を停止し、国内で大型船を作る事を禁止しました。倒幕までもオランダの文物はかなり日本に入って来ています。戊辰戦争からWW2まで日本は戦争し通しなので、色々国家に干渉されながらも、あれこれ行き来がありました。
島国だから平和だ交通が遮断されている、だから人間同士が〜という理論は何だろうと思いました。 |
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