madeingermany

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...... 2016年02月11日 の日記 ......
■ パイシート   [ NO. 2016021101-1 ]
■漱石とその小説の舞台として観光地になっているのは道後、熊本が有名です。房総や大阪、湯河原、修善寺、鎌倉等も漱石にゆかりがありますが、道後程はアピールしていない気がします。

初期の明るい坊ちゃんはイメージしやすくとも、行人、こころ、明暗の舞台ですと言われても、暗澹たるものがあるせいでしょうか。行人では大阪に二郎が泊まり、その後一郎夫妻、母と合流して観光し、二郎と直の一夜の場面になだれ込みますが、当時の読者は和歌山の雰囲気がパッと想像出て来たのでしょう。

最も漱石が長く暮らしていた都内も、市電や蒸気機関車が走らなくなり、メトロと新幹線、JR線が駆け回っていて昔の面影はほとんどありません。当時は人力車も立派な交通手段でしたので正しく隔世です。やはり変わらないイメージを残しているのは道後や熊本でしょうか。



■キンちゃんが高松と一緒に育ったら、今もそうですが、いい子になったのだろうなと思います。家族同然と言うか、英国の小説を読んでいると、親身に面倒見てくれる使用人というのが、ある所にはあるらしいので参考にしています。

オースティンの小説にも使用人が沢山出て来ます。けれど、エマがわずかに身分が下のエルトンに求愛された時、求愛如何より、余りに図々しいと激怒した様に、身分の差は歴然としてある様です。



そういう都合の悪い所は無視して、高松は「家族同様、いや家族だ」と言い切る事にしています。源氏ではないですが、正妻がいなければ、身分の無い紫の上が北の方として見なされる場合もあるでしょう。紫の上が自分の立場を正確に知ってしまった時の驚きと悲しみ、女三宮の降嫁等の物語を思い出します。

源氏は生涯、夕霧を紫の上に会わせなかったそうです。部下や友人、父親の妻を好きにしてきた源氏なので、夕霧を警戒したのでしょう。実際夕霧は、美女を集めて優雅に暮らす父の生活に興味があり、美女達の頂点に立つ紫の上を憧憬していたらしいです。

源氏が柏木と密通した女三宮の出家を看過し、柏木を死に追い込んだのは事実ですが。源氏に妻を取られた部下、桐壺帝、朱雀帝、頭中将達は源氏に報復していないので、源氏は料簡が狭いのではと思います。





■日誌らしい事を書きます。冷凍のパイシートを買って、ゆでた野菜と一緒に焼いて食べたらおいしかったです。お菓子作りにはまっていた時は、クッキーやパウンドケーキは何とか出来ても、パイは難しかったので、パイシート様様です。

4枚で300円くらいなので、自分で小麦粉から作るよりはるかにお手軽というのを知ると、お菓子作りの意欲が減退しそうです。お菓子作りのいい所は、油であるバターを大量に使う事を身に染みて感じるので、お菓子を食べ過ぎなくなる事だろうと思います。

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