■ルザ高について考えていたら、川端康成の雪国を思い出しました。今が冬だからでしょうか。
南国の高松を見ていると、行男も島村も葉子もいなくなった駒子を見ている様です。嫌な事に耐えてでも尽くそうとした人は亡くなり、一時のお得意さんも来なくなり、自分の分身の様だった葉子は人が変わってしまった駒子。
病身だった行男は、駒子が自分のために身を落とした事をどう思っていたのか分かりません。いずれ回復したら幸せになろうと思っていたのかもしれません。
ルーザー様ももし高松の事を大切に思っていたら、暗殺業に手を染めるどころか別人の様に悪辣になっていく高松をどう思われたでしょうか。高松は「ルーザー様が喜ばれるなら」と口にするでしょうが、好きな人にそんな事をさせて喜ぶ人がいるのだろうかと思います。
高松はルーザー様の愛情を信じていないから、南国で好き放題しているのかなと、ふと思いました。まさか嬰児交換でルーザー様の英霊が喜ぶとは思わないでしょうが、遺児を総帥に押し上げる事で高松の気は晴れます。
ルーザー様の思い出を自分の脳内で書き換えて、都合よく生きないと高松の気は違ったかもしれません。キンちゃんと出会ってから、慎重に自分自身に思いやりを持って軌道修正していったのではと思います。
■雪国のヒロイン駒子は、最初は芸者ではありませんでした。家が貧しかったり、田舎で冬期に働ける場所と言うと限られているでしょう。当時の貧しくて綺麗な女の子と言えば、いずれどんな生計を立てるのかは見えている事です。
駒子は否定しますが、そんな道を選んだのは、病気の婚約者のためだったらしいです。結核にかかった婚約者の治療費のために芸者になった事を島村は面白く思ったと思いますが、駒子にすれば触れて欲しくない事でしょう。
芸者としての駒子には、島村はいいお客さんです。金払いはいいでしょうし、金持ちだけに趣味がいいので、ある意味相手のしやすい客だったかもしれません。冬も夏も来てくれるのだから、懇意になるのは時間の問題だったのでは。そのうち婚約者の行男が亡くなり、駒子も葉子も心が虚ろになる時が来ます。
行男がどういう性格の人なのかはよく分かりません。ですが芸事の師匠の息子とはいえ、温泉街を離れていた時期があるので、いずれは駒子と所帯を持つつもりだったのでしょう。見舞いに来ない、臨終にも来ない駒子をどう思ったのかもよく分かりません。お互い顔を見せられないくらい、気まずかったのでしょうか。
そして駒子と島村は、温泉街でも恋人同士と見なされる様になります。懇意にしていればそうなるのですが、島村には嫌な事の様だったようです。親しそうに振る舞う駒子を見て、東京にもう帰ると思ったりしていた気がします。
葉子が火事から焼け出された後は、もう島村は温泉場に来ない気がします。身も心もズタズタになった葉子、駒子は美しくないと言うか、傷心の若い美女と言う島村を満足させるものではなくなったと思います。
駒子も島村を頼っても仕方ないと分かっていても、何かが変わってしまった今は、余計島村に頼りたくなり、「気が違う」と言う懸念に潰されてしまうのではと思います。 |
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