madeingermany

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...... 2016年02月18日 の日記 ......
■ 詰め込み   [ NO. 2016021801-1 ]
■高松は自分が好きな谷崎や漱石、荷風と似ているなと思います。高松単体だと偏屈で手に負えず、なのに日本有数の時代を越えた知識人である部分は似ていると思います。

ですが、ルーザー様とキンちゃんと高松と思うと、余り似ていません。高松が母親の様と言うか、愛する人達のためなら自分の偏屈くらい曲げてくれるからだと思います。ルーザー様達は高松の個人的趣向を満たしてくれる人達には違いなくとも、それ以上に高松が彼等を愛したいのだと思います。

上の三作家には見ない傾向です。谷崎の書く女性は芝居的で、細雪の幸子ですらいわゆる母性とは異なります。漱石も家庭人としてはかなりな方で、荷風は自分の日誌で母親と弟家族をこれでもかと言うくらい攻撃しています。

高松にとってルーザー様達が、厳密には家族ではないから起きる忠誠心に過ぎないのかもしれませんが、高松は好きな人のお世話をするのが大好きです。その部分は谷崎的趣味と言うより、普通の母親の様に見えます。



以下は雑感です。まとまりません。


■学校で何故「自己実現しよう」と言うのかと言えば。学習や部活動、友人関係に熱心な明るくモチベーションの高い生徒が欲しいからだと思います。自己実現と言えば、自分で目標を設定して頑張る事を指すので、毎日の学校生活が明るいものになります。

くどいですがマズロー的なあれで言うと、自己実現はどちらかと言うと難易度の高い欲求です。本来目覚める事すら難しい欲求を喚起し、突進させる手間が何故発生するのか。

食う・寝るの欲求が満たされれば、自ずと高位の欲求に目覚めると言うマズロー的仮定があるからでしょう。アジアでも衣食足りて礼節知るという言葉があります。




何故働いてもいない子供達に、食う・寝る以上のモチベーションを求めるのか。親御さんが子供達に安心・安全な環境を提供し、慈しんでいるから、学校は若干高位の欲求を子供達に喚起するんじゃないかと思います。学校で子供の御飯や睡眠の面倒までみないでしょう。

不思議なのは、学校がそんなに家庭へ期待しているという事です。美味しいご飯を作ってくれる母に感謝し、安全な家というものを提供してくれる父に頭を下げられる子なら、確かにより高位の人格者になっていきそうです。

千と千尋でないですが、子供がそんなに親に感謝して生きている訳ではないでしょう。御飯に文句を言い、だらしない父に眉をしかめるのが子供かと。マズロー的な基本的欲求は十分満たされていても、当人に自覚がないなら、アイデンティティとか何の話だという事です。




性教育とか学校で熱心しないのは、御家庭でお子さんに指導すべきものだからでしょう。でも親子で性教育他について熱心に語られる事は無く、「学校に通っているんだから」という理由のない安心が家庭内に漂います。

出席しているから、部活動を頑張っているからいい子になって、自己実現なんてしちゃう高度な子になるんでしょうか。よく分かりませんが、学校の勉強が詰め込み式なのは、本来的な脳みその使い方は親御さんから教えてもらって下さいと言う事かなと思います。

その親御さんが子供に何を教えるのかは、自分には分かりません。自己実現とか、学術の詰め込みとか、何故学校側が大好きなのか。御家庭というものに、過度に期待している気がします。

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