■どの漫画やアニメにも、話の中心になるアイドル的キャラがいると思います。近年はシンジや絶望先生やヘタリアの様に、どちらかというとネガティブな主人公も普通に見ますが、やはり大きな物語を動かすのはカリスマなキャラだと思います。
シンジならミサト、絶望先生なら可符香、イタリアには反対の性格と言う意味でアメリカがいます。ナウシカも、ナウシカのネガの様な存在でクシャナがいます。ウテナにもアンシーがいます。細雪の雪子と妙子、雪国の駒子と葉子、明暗の延子と清子と、挙げればきりがありません。シンタローとアラシヤマもそうでしょうか。
ポジにあたるキャラの方の事はよく分かりませんが、面白いのはネガの方のキャラが、一度ならずポジの方を否定している事です。ポジの方も、ミサトとシンジの様に、「アンタなんでこんな事出来ないの」的な罵倒をしますが、ポジだけあって早々傷つきません。
ミサト、可符香、アメリカ、ナウシカ達の気持ちは分かりませんが、言えそうなのは過去の他人が一応願いを込めて作っただろうお墓を破壊したナウシカは余り後悔していないだろうと言う事です。前向きと言うにはあまりに大きな行動です。それがアイドル、それがカリスマなんだろうと思います。ネガが何か言っても響かない訳です。
■人は自己実現をしに、東京や大阪まで行くとしたら。地方の県だと高校までは普通校でも、学びたい学部が県内にない場合もあるので、越境は大いにあると思います。勉強して、成長した自分を生かすのも東海道本線沿線なのでしょうか。(※東京、大阪をつなぐ線)
群馬県はIターン、Uターンの魅力をアピールしていますが、もう何十年も前から「群馬が輝くには若い人が働ける場所が必要」と言われ今も模索中です。自分が高校の頃からむしろ群馬は人口減で、元気なのは富士重工のある太田くらいな気がします。
お前はまだグンマを知らないと言う漫画の様に、住んでさえ見れば群馬はハイテンションな県だと思います。ただし南関東と比べなければの話で、北陸新幹線の最速タイプ、金沢までまっしぐらの子は高崎に停まりません。新潟の上越妙高・糸魚川にも停まりません。
こういうフラストレーションが人を鉄道に近づけるのだろうと思います。なんで古い電車が愛されるかと言うと、くたびれた姿に懐古的に自分を重ねるのかもしれません。盲腸線にドン詰まりな人生の何か?を見出し、外房線の様にミラクルなまでに崖っぷちを走る電車に、スリリングな自分の人生の意味を探すのかもしれません。
自己実現って、渋谷原宿、梅田や淀屋橋、心斎橋にあるのではなくて。山手線や、大阪市営地下鉄の軌道上にあるのではと思います。何かに到着するのが楽しいのではない、何かに向かうのが楽しいのだと。 |
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