■職場の昼休みに、近くの郵便局で原稿を郵送してきました。明日の午後には印刷所に着くそうです。入稿後はいつも、軽く怪我するか、風邪を引くか、人様に迷惑をかけるかするので、慎重に行動するようしています。
感情が長引く性格らしく、いい事も悪い事も大体長く追想しています。そんなのやめればいいじゃんと人は言うでしょうが、止められるなら、自分の人格ごと吹っ飛びそうなくらい根の深い部分です。追憶なんて甘い言葉では足らなく、フラッシュバックというと大袈裟で困ります。再経験と言うと、別に本当に再現されてないので変な感じです。
対応する方法は特にないので、自分がまずいと反応した事には、「でも慣れるかも」「でも実はいいものかも」「今度は大丈夫」という安易な考えを捨て、近づかない事にしています。デブになるのを案ずるなら、お菓子売り場やケーキ店を避けて歩けばいいのと似ています。
楽観視とは癖になるもので。学校で先生が生徒に「なせばなる」と励ます時みたいないい加減さです。でも小中高で出される課題なんて、誰でもやればできるから出されるのであって、もう先生も顧問もいなくなった今になっては、自分の経験だけが頼りかもしれません。
そう思うとフラッシュバックは、不快だけど自分だけの信号機みたいなものかもしれません。
■生まれて初めてきちんと尾崎豊を聞きました。町の図書館にCDがちゃんとありました。
自分は煙草を覚える事も、校舎の窓ガラスを割る事も、バイクを盗む事も出来ませんでした。精々、かつてあった新幹線の喫煙席から逃げ出し、校内の図書館で怪しい本をこっそり読み、親の金で買った自転車を盗まれるくらいの人生です。
何かしたい、何か変えたいという若い気持ちを体現するのが尾崎なのかなと思いました。カラ松が尾崎好きらしいので何回か聞ききました。カラ松の尾崎へのリスペクトはいいとしても、コピペは難しいだろうとも思いました。
カラ松は親兄弟を否定、拒絶する事が出来ないから、夜中盗んだバイクで走って行っても、結局松野家に帰って来ます。尾崎の世界なら青年は出て行ったまま帰って来ないと思います。
帰って来ないから、尾崎豊はカリスマになったのかもしれません。ちなみにおそ松の言うカリスマ・レジェンド・人間国宝は可愛げとしてのセリフなので、おそ松自身がカリスマ志願だとは思いにくいです。
なんでカラ松が尾崎に憧れるか言えば、自分を取り巻く静寂と孤独が肯定される気がするからで。なんでカラ松が静寂と孤独の中にいるのかと言えば、およそ兄弟でもついていけないテンションでカリスマを志願するからで。
ニワトリが先かタマゴが先かみたいな話になりました。生まれた時から一緒に暮らしているおそ松達相手に、尾崎を演じようとするからカラ松は痛いのであって。案外おそ松が言っていた、5人の味方がいるんじゃない、5人の敵がいるんだというのは真実かもしれません。 |
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