■また細雪を読んでいます。谷崎はどこで細雪を終わらす気だったのか、何故こんなに長いのかと思います。上巻だけでも十分内容は充実しています。かといって蒔岡家の本当の落日を下巻で書いている訳ではありません。
谷崎はいつも書き出しは豪快なのに、終わりは瘋癲老人日記の様に悲惨だったりします。細雪は幸子の前から雪子、妙子がいなくなるという悲劇をもって幕を下ろします。その悲劇はカタルシスなどあってはなく、もう一行も進んではならない所まで谷崎は書きます。
■PAPUWAとカミヨミって、同時期に書かれたから似ている面も出て来るだろうと思います。でもPAPUWAはギャグ、カミヨミは怪奇物と始めは線引きがハッキリあったと思います。
PAPUWAがカミヨミに似て来たのは、マジックとコタが2人きりになって、ミツヤの思い出が蘇った時かなと思います。南国及びそれまでのPAPUWAでは、「過去」の要素が少なかったと思います。マジックが過去を振り返って苦しむなんて、南国ではなかった傾向です。
どんな悪いことしたって、ルーザー様のせいにしてやり過ごして明るくやって来たのがマジックだったはずです。それだけマジックはミツヤを思っていたのか、過去に逃げ場を求めるほど、虐待してきたコタとの未来を描くのがマジックにとって苦痛だったのか。
■南国は物語が一回一回新しい事が出て来る積み上げ式だったと思いますが、PAPUWAの場合、既に「リキッドの世界」という広大な箱庭があって、そこで、コタやパプワ、シンタローが何かしている様に見えます。
南国においてパプワは、皆に対して鏡の様な子だったと思います。パプワは優しい島の皆には明るく接し、外部から来たシンタローにはちょっとずつ接し、ガンマ団の刺客達には腕力で対応していたと思います。
リキッドは過去のパプワの様に出番こそ多いですが、彼は鏡ではなく、周囲のコタやトシさん、シンタローがリキッドの「よさ」を映す鏡になっています。だから、PAPUWAはリキッドの世界に見えます。PAPUWAは、物語の規定的な面がカミヨミ的だと思いました。
カミヨミも、カミヨミの場合は悲惨な方面へ常に話がシフトし、大体落着しています。最大の悲劇は帝月、天馬、瑠璃男の心中でしょう。PAPUWAの場合の集約点は「リキッドの笑顔」だと思います。
■PAPUWAで確かめたい事があっって、全巻チラチラ見ていました。本誌で読んだことはないのですが、結構脱線的な回もあって、南国を熱愛していた方にはきつい時も会ったろうと思います。
南国の場合は巻数も多くないので、挿話的な回も一向に脱線には見えません。南国アニメも神過ぎて、一話一話が愛おしいです。
PAPUWAの場合、中盤、ここにコタがいたらどうだったろうと何度も思います。ケラちゃんの回、ヒロシ君の回、ソージの本当の姿、と親子そして家族の姿を問いかけるいい回だったと思います。
シンタローは既に大人。リキッドもパパに愛されていた、ハーレムも全力で彼を応援していたという明らかなる事実が何遍も語られるので、この2人の青年についてPAPUWAで「親子とは」「家族とは」と語るのは、いささか脱線に思えます。
マジックがどんなにかシンタローを愛していたかも、リキッドが「愛され」キャラであるかも、南国を読めば既に分かります。 |
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