■高松がいい奴かといえばそうでなく。恐らく郷里の香川からも、血縁からも放り出された様にガンマ団に単身来てしまったのには、それなりに彼の内在的な事情もあったかもしれません。
普通の暮らし、普通の恋、普通の家族を高松が求めていたら、頭のいい彼の事だから、どこかでガンマ団を回避したでしょう。
そんな若くして厭世的で毒舌とサボリの常習犯だった高松に、守るべきものが出来たというのは、ありがちな言葉ですが運命だったのではと思います。
色々捨て鉢に43歳まで生きて来た高松が、キンちゃんには真実を告げた上に、守ってあげようと思った瞬間が好きです。色々な事態が落ち着いてキンちゃんが周囲を見回した時、余りに高松がシンタロー世代に嫌悪されているのを知り、「お前はそんな奴じゃない」とか熱く弁護してくれないかと思います。弁護しきれない部分が大きいですが。
■アニメのモーレツ宇宙海賊を二話まで見ました。ナデシコの佐藤監督という事で、機会があれば見たいと思っていました。以下は感想です。
・もっとミニスカ、女子高生と言う面を押し出すと思ったけど、さわやかなスペースオペラだった。ナデシコもスペースオペラと聞いていた。佐藤監督の「夢」を感じる。久々に監督の書かれた字を見た。
・何故、主人公が未成年の女性なのかと思う。海賊と言えば荒くれ者で、古くは船に女性は乗る事も禁じられたと思った。
・監督の自己投影が、ナデシコで言えば奔放な若い二十歳の娘さんのユリカ、モーレツパイレーツなら花も恥じらう茉莉香なのかもしれない。自己投影と言っても竹淵の様な底の浅いものでなくて、やはりプロなんだなと思う。面白い。
以下、モーレツ宇宙海賊とも監督とも離れた感想になります。
・男性の作り手の自己投影、自分の分身が「女性」であると言うと、漱石の明暗の延子を思い出した。
延子は結婚前の津田の女性関係の秘密を探り出そうとしていた。漱石も、好きだった女性の異性関係を意地でも掘り返して、彼女の秘密を探り当てて納得したかったではないか、と思う。
あけすけに書くと余りに下品だけど、佐藤監督も漱石も、面白く読める作品になっている。宇宙に羽ばたく茉莉香も、湯河原に突撃する延子も、中身は若い女性ではなく、男。麗しい女学生でも、若い美人主婦でもなく、成人で既婚者で立派な職業を持っている男性。
なら女性の私が男性キャラに自己投影しても、割と不思議ではないのかもしれない。夢と理想を詰め込んで。 |
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