■貴方は貴方、私は私という自覚は人間の発達において非常に早く出来て、その後も思いやりや対話の感覚をその自覚に基づいて行うらしいです。大人になっても会話や友達は大事ですが、自分は兎角万事下手くそです。
アラシヤマもそうだと言えそうですが、彼はコージやウマ子嬢、上司としてのマジックには割と普通だったと思います。彼がこじらせているのはシンタロー、ミヤギ、トットリへの感情だけではと思います。
シンタローは大器故にアラシヤマのちぐはぐさを受け流すでしょうし、ミヤギも短慮なだけで意地悪ではないと思うので、こじらす原因を作る方ではなさそうです。忍者トットリも取捨選択を誤る人ではないと思いますが、何がそうアラシヤマを追い詰めるのか。
前述の自覚について。キンちゃんもシンタローはシンタロー、俺は俺という自覚を順を追って身に着けたのではと思います。最初は感情の椅子取りゲームみたいな思考回路だったキンちゃんですが、ルーザー様や高松からの無尽蔵の愛が分かったのか、焦らなくなったのではと思います。
それでいて高松には「お前は俺の大変さが分かるはずだ」という予感、期待、同意を求める気持ちが未だにあるのがいいなと思います。俺の事お前が分からないはずないだろう、という甘えと言うか余人には絶対見せないものが高松に対してはあるのかなと思います。
高松は時々その期待を意図的に破ったり、逆にキンちゃんの思いもよらない方法で答えたりするのだろうと思います。俺は俺、お前はお前で、俺はお前で、お前は俺。
■江戸時代の温泉についての本を読んでいます。温泉が好きなんだなと分かる書きぶりで、読んでいて安心できる文章です。
少し前に読んだ蒸し風呂専門の本も、「蒸し風呂を愛してやまない」と言ってくれればいいのに、「リゾート開発的な巨大風呂は風呂にあらず」という熱意の方が先に来て、蒸し風呂のよさとかは想像にお任せという感じでした。
自分は家でも出先でも、疲れていると湯船で眠り出すので風呂場全体が暑いサウナは非常に危険です。ならば湯船が安全かというそうでもないと思うので、年を取ったら自分は気をつけないと警察騒ぎになりそうです。
湯船で気持ち良くてウトウトし出すのは、精神的には極楽でも、身体的には死にかけているのだと何かの本にありました。桑原桑原。
今読んでいる本、自分が以前読んだ事のある人物が出て来て、懐かしくなりました。北海道の温泉についてなら松浦武四郎の著述が参考になるでしょうし、北陸の事なら鈴木牧之がいます。過去自分の読んだ本は嘘ではなかった、と思うと嬉しいです。
温泉について。いろんな本で、高度成長期あたりの巨大ホテルの乱立、温泉の質の低下、由緒ある湯治場が単なる歓楽街に成り果てた事等が挙げられています。
まことに嘆かわしいというのは同感ですが、自分の印象ですと、ホテルや旅館の利用の雛型が出来たのがその頃なのではと思います。昔は旅行など一生に数回だったでしょうし、手塚治虫の時代の新婚旅行などは皆正装に近い服で電車に乗り込んでいます。乱立した結果、いろんなハードルが下がったのでしょうか。
いかがわしい・嘆かわしい時代の懐かしさと言うか、自分の知っているいくつかの観光地がスポットライトを浴びていたのは実にその頃です。ネットがなかったから、皆どこぞに繰り出して遊ぶしかなかったのか、高速道路が余り発達していなかったから、古い道沿いの温泉街やお土産店に人が来たのか。何にせよ、一概にノーとも言えない時代がありました。 |
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